2012.05.19 Saturday
八女伝統工芸館で老竹細工の実演
16日、久留米絣の取材調査で広川町から八女市の伝統工芸館に立ち寄ってみました。


イビツになったカゴ
手付きカゴ、ただし 金具で止めは、いただけない
道具の庖丁は能古島の鍛冶屋に作ってもらった名品
こちらの庖丁は亡きオヤジのカタミとか
15年ほど前に来てからなので久しぶりです。
八女の街並は古き風情がまだあり、残していこうという町の人々の気分を感じました。
伝統工芸館は閑散としていて、箱ものの行く末がみえたようなもの。
もっとも日本国中で、同じようなあり様ですが。
一階ロビーでは、老人が竹とんぼの細工をしていたので話しかけてみました。


名は樋口さんといい、80歳が近いそうです。
周りには竹製品がいくつもありましたが新しいものは僅か数点。
ほとんどが少し前のものだったり、中にはいつ頃つくったかわからない古いものもありました。
実演してもさほど売れないということなのでしょうか。
青々とした小さなカゴがあり、聞いたところ、福岡の女性デザイナーからの注文。
ちょっと無理のある形とつくりのぎこちなさが目立つので、従来つくってきたカゴでないのがわかります。
イビツになったカゴやはり寸法をこちらから頼んだりする場合は、その作り手が得手とする定められた寸法からかけ離れたものはおかしな形になりがちです。
聞けば、八女周辺には4名の竹細工をする人がいるとのことですが、皆さん自分より年上で専業はおらず、この10年ほど前から昔とったキネヅカではじめた方ばかりなのだそうです。
その中では自分が一番上手というほどですが、この方のつくりもあまり上手いとはいえません。
手付きカゴ、ただし 金具で止めは、いただけない本人は「ボケ防止にしているもので、僅かな日当をいただくから、さほど真剣に仕事をしていくつもりは無い」との答え。
かつて八女、筑後も、また山内町、黒木町、星野村と続く現在の国道筋は竹細工が盛んで、昭和40年頃までこの道路が実は鉄道で、大川市に近い鹿児島本線の羽犬塚まで貨車で運び、大量に関西方面へ出荷されてました。
また、この筑後平野は筑後川が有明海にそそぎ、そのため漁業もさかんで、さらに耳納山脈の林業、お茶畑や田畑が広がり多角的農業など、大変な量の竹細工製品が必要とされ、日本有数の竹細工産地でした。
今では僅かに、専業としないこの老人たち数名による竹づくりを残すのみで、北部九州の人の気質も重なりますが、時代の変容を感じざるをえませんでした。
道具の庖丁は能古島の鍛冶屋に作ってもらった名品
こちらの庖丁は亡きオヤジのカタミとか私は35年ほど前から年何度もここを訪れ、数人の卓越したつくり手を知ってずっと関わってきましたが、それらの方々も亡くなり、僅かに星野村に一人、この方もかなりご高齢であり、それもまだ最近伺っていないのでどうなったか。
また黒木町にはショウケづくり(米上げ一斗入り)専門のつくり手がおられますが、いずれは廃業するでしょう。
久留米絣の調査では次世代の方々が前向きに取り組み、商人の方も積極的に取り残されつつの絣を広めようと努力しているのを見てきたわけですが、竹細工に至っては安価な価格が改善されない限りは、復活は暗いと思わざるをえませんでした。




























有松絞り・豆絞り布
工場資料にあったアフリカ輸出用有松絞り
インディゴ・ピュアーが入った甕



































蕎麦屋のテーブル







