手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
氷見のショウケづくり

先日、フォーラム会員の坂本さんと富山・氷見を訪ねた折、

偶然にも地元のショウケづくりを見学できました。

 

道の駅で偶然見かけたのがきっかけです。

高い技術で編まれているのは一眼で分かりましたが、縁は針金で巻かれていました。

道の駅の方と雑談をしていると、近くでつくっているよ、と。

せっかくなので少しだけ見学させていただくことにしました。

 

作り手のおばあさん。90歳だそうです。

耳が遠く、はっきりとしたお話は伺えませんでしたが、

手早い作業からは、熟練であることは明らかでした。

 

作った物は北海道へ送っているそうです。

氷見の箕も、農具として北海道へたくさん送られてきましたが、

それらと一緒に送られているのかもしれません。

 

この近辺ではかつてはよく作られていたそうですが、

残念ながら今ではこのお宅だけとのことでした。

| 久野民樹 | 調べる | 22:15 | - | - |
星耕硝子で吹きガラス体験

10月の終わりに秋田・星耕硝子へ伺いました。

11月5日に行われた岩井沢邸ギャラリーでの「お話の会」で

星耕硝子・伊藤嘉輝さんにお話をしていただくための打ち合わせも兼ねて。

 

「ガラスを吹くってどうしてもイメージがわかないんですよね」と言うと、

「じゃあやってみればいいじゃん!」と伊藤さん。

ということで、早速吹きガラス体験をさせていただきました。

実際にやってみると、当たり前ですが思うようには行きません。

ガラスを吹くにも、どの程度の力で吹けばよいのか?

鋏捌きをどうすれば形が思うようになるのか?

全くわかりません。

 

小さなコップを作りたかったのですが、結果的にはこうなりました。

コップというより、かなりオマケして言ってもカトラリー立てでしょうか。

口を当てる縁を薄くしたり、反らせたりするなどしなければ

いけなかったのでしょうが、全く出来ませんでした。

イメージ通りに作るためにはやはり鍛錬が必要です。


吹きガラスには、自分の手ではなく道具を介し、かつ、ガラスが冷めるまでの

短い時間で形を整えなければならないという制約があります。

この点は焼き物などとは決定的に違うところです。

しかし、このような制約があるからこそ生まれる形があるのだろうと

改めて感じることができた体験でした。

 

伊藤さん、ありがとうございました。

 

 

| 久野民樹 | 調べる | 09:59 | - | - |
戸隠の根曲竹細工

富山市八尾の桂樹舎へ向かう途中、長野市戸隠へ立ち寄りました。

目的は、根曲竹細工のつくり手を訪ねるためです。

根曲竹の採取は雪が降る前の9月から10月にかけておこなわれますが、今年は例年より少なかったそうです。

 

 

とても寒い日でしたが、雪は降っていませんでした。

いつもなら雪が降っているそうです。

 

| 坂本光司 | 調べる | 09:29 | - | - |
実業家 大原總一郎と建築家 浦辺鎮太郎

愛媛民藝館は愛媛県西条市にある四国で唯一の民藝館です。
1967年に設立され今年半世紀を迎えました。
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この民藝館、昭和の実業家 大原總一郎(おおはらそういちろう)氏の提唱で、地元の有志とともに設立されます。
大原氏は、岡山県倉敷市生まれ、現在の螢ラレの2代目社長です。
浦辺鎮太郎(うらべしずたろう)氏は大原氏と同郷であり、日本建築学会賞も受賞した昭和の一時代を牽引する建築家です。
大原氏は地元倉敷において、文化、芸術、教育などを調和する“倉敷まちづくり構想”を実現させる一方、浦辺氏はその構想下において、倉敷国際ホテル、大原美術館分館、アイビースクエア、倉敷市庁舎などを設計し、建築家としてまちづくりを支えました。

そしてこの愛媛民藝館も大原氏の支援を受けて設立されます。
なぜか?と言いますと

倉敷が本社の螢ラレでしたが、西条工場新設を機に西条市を訪れ、この地をいたく気に入った大原氏。西条市にも文化構想をとの思いで、西条中央病院や西条栄光教会の建設などさまざまな社会事業、文化事業を手掛けます。
そのひとつがこの愛媛民藝館の建設となるわけです。
当時同社の社員であった浦辺氏に設計を任せます。
土蔵造りの漆喰壁、天井から注ぐ天然光、外気を隣りに感じる障子窓からは土着した暮らしをしっかり感じ取れます。

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吹き抜けの玄関

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重厚な木製建具を開閉する玄関

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館内にある図書コーナー

毎日の暮らしを地に足付けて健全に進んでいく民藝の精神。
この精神に実業家 大原氏と建築家 浦辺氏は共鳴していたことでしょう。

この民藝館を囲む堀端の風景は50年以上前から変わっていません。
半世紀前の風景や建築が現在もそのまま残っているのは珍しいことでしょう。

大原氏が倉敷を彷彿した堀端の風景です。
この堀端の風景、倉敷美観地区に重なりませんか。

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倉敷美観地区

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愛媛民藝館を囲む堀端の風景
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50周年特別企画展「大津絵がやってくる」
会期:〜2017年11月30日(木)
時間:9:00〜16:30
場所:愛媛民藝館
http://ehimemingeikan.jp/

藤原 葵

| 管理人 | 調べる | 09:44 | - | - |
箕サミット

民具(または農具)の「箕(み)」をテーマにした「箕サミット〜編み組み細工を語る」が13日、東京・上野の東京文化財研究所で開かれました。手仕事フォーラムHPの手仕事調査に掲載させていただいている福島県南相馬の「小高箕」の調査報告を見て下さった東京文化財研究所の方からご案内をいただき、大橋先生と参加をしました。


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国の重要無形民俗文化財(民俗技術)に指定されている3件の箕の作り手が製作実演し、その後パネルディスカッションとして作り手側と売り手側の箕の現状の報告や課題などが話し合われました。主催が東京文化財研究所ということもあり、「民藝としての箕」ということではなく、あくまで「文化財としての箕」という視点で会はすすみました。参加された3件の箕の作り手は、秋田市太平黒沢の「太平(オエダラ)箕」、富山県氷見市の「論田(ろんでん)・熊無(くまなし)の藤箕」、千葉県匝瑳(そうさ)市の「木積(きづみ)の箕」の継承団体。

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現在の年間の生産数は、木積の箕は10〜20枚程度、論田・熊無の藤箕は100枚程度で、他にお祭りやお土産ものとして小さな箕を2500〜3000枚程度生産しているそうです。太平箕は生産枚数の報告はありませんでしたが、縁起物として新宅祝いや年祝い、梅干しを作りたいという方などが購入してくださっているそうです。論田・熊無の藤箕は、その多くが農協を通し北海道へ送られているそうです。なぜ北海道で需要があるのか?、と尋ねると、ジャガイモの生産農家などで使われているそうです。大量生産で作られたプラスチック製の箕は、北海道ではその寒さで割れてしまい使い物にならないそうです。北海道は蕎麦の生産量も全国一位。国内生産量の40%占 めていると聞いたことがあるので、そういった農家の方々にも需要があるのかなとも思います。


太平箕の初出は寛政元年(1789)、明治初年には年間14000枚の箕を出荷したと秋田県史に記述があるそうです。明治40〜大正3年頃まで、鉱石運搬のために相当数の箕を産出していたそうです。生産のピークは昭和30〜40年代で、年間5〜7万枚を産出。昭和35年、96戸のうち専業32戸70名、農家との兼業50戸65名の作り手がおり、北東北を中心に、北は樺太・北海道、南は関東・関西などにも販路を拡大していったそうです。それが高度経済成長期以降、急激な離職がはじまり、昭和39年には70数名、昭和56年には10名程まで減少。そして現在は、太平箕の専業の作り手は、田口召平さん(80歳)お一人だけだそうです。

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太平箕の材料は身頃の縦材に藤(フジ)、横材にイタヤカエデ、枠木に根曲竹を使っています。身頃の横材のイタヤカエデは、箕の先端(ミサキ側)にいくにしたがい少しづつ細い材料を使い編まれ、箕の先端部はまた太く編まれています。これは材料を加工する際に必然的に太いものと細いものがでてしまうことが関係し、そのうえで、ミサキ側に細い材料を使い細かく編むことで穀物の選別がスムーズにできる効果があり、先端部は強度を高めるため太い材料で編まれ、より箕が使いやすく丈夫になるように工夫されています。

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枠木の取り付け部分にはイタヤカエデが巻き込まれていない(編まれていない)箇所があります。これは、枠木にイタヤカエデを編まない空白部分をつくることで、枠木をしならせやすくする効果があり、使いやすくなるそうです。

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山桜の化粧は、田口さんはこの2つの化粧をおもに施すそうです。化粧を施すことで見栄えが良くなり、さらには箕の強度を高めることは勿論ですが、化粧により誰が作ったものか分るという目印の意味もあるそうです。このV字の化粧はなぜV字なのか?と尋ねると、「矢羽根」の意味があるそうです。なぜ矢羽根なのか?と尋ねると、「その理由は先代からは聞かなかったが、おそらくは弓矢・狩猟の意味ではないか」と田口さん。狩猟で獲物をとることから転じて、「収穫」という意味が込められているのかなと個人的には理解をしました。矢羽根の化粧は田口さんだけではなく、先代も同じものを施していたということに伝統性も感じました。また、調べると「矢羽根」は 、結婚の際に矢絣の着物を持たせると出戻ってこない(射た矢が戻ってこないことから)といわれるようになり、縁起柄とされるようになったという話もあるそうです。

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道具の山桜の鞘も力強くていいなと思いました。さらには、その道具入れとして使われていたカゴは、箕づくりの技術を応用して作られたカゴです。山桜の化粧も施してある。箕の構造で重要な立体的な部分になる角部を四隅に使い、フチ巻きをしたもの。

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宮城県の大和町でも箕づくりの技術を応用したカゴが作られておりますが、田口さんもそういった応用もしています。技術の応用は、もし箕の需要がなくなって作らなくなったとしても、カゴなどをつくることで箕づくりの技術は残せるということにつながる有効な手立てだと思います。田口さんは、日本各地の箕づくりの産地を繰り返し訪ね歩き、特徴をスケッチし記録したり、日本各地の箕を60枚以上も収集されているそうです。人柄的にも魅力のある方だなと思いました。田口さんがつくる太平箕は後継者がおりません。「もし箕づくりを習いたい方がいましたら、いつでも受け入れます。材料取りから箕づくりを本気で教えます」と田口さんはお話下さいました。

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今後、国は日本各地にどんな箕があるのか、今どのくらいのつくり手がいるのかなど、箕にまつわる様々な調査研究をすすめていくそうです。
 

| 渡辺大介 | 調べる | 17:09 | - | - |
琉球人は雪を見たのか

スタディーツアーで静岡芹沢げ霹術館を見学したあとは、静岡駅前のミーティングスペースに移動し、

参加者それぞれに印象に残ったことなど意見交換。

その中で、雪輪が話題になりましたが、私は知らないことが多かったので、浅学非才の身なれども

少し調べたことを加えて備忘録的に記録を。

 

紅型の文様には、かの地にあってはほとんど目にする機会のないはずの事物が多用されていますが、

雪輪もその一つといえるようです。そもそも雪輪とは何かについては辞書を引けば詳しく説明され

ているので、ここでは割愛します。

 

紅型そのものを見るのが王道でしょうが、純粋に形に焦点を絞って見るならば型紙を見るのも一つの

手段かもしれません。図書館に行き『鎌倉芳太郎資料集』(紅型型紙)のページをめくりながら、

そのように感じました。意匠を凝らした雪輪や雪持笹の様々なバリエーションを見ることができます。

考えてみれば雪の降らない南国で、これだけ多様な雪輪が多用さされているのは、不思議なことです。

降らないからこそ逆に多用したとも考えられるかも知れませんが、わかりません。

下図は「松竹梅雪輪東屋模様白地型紙」と名付けられています。

『鎌倉芳太郎資料集』紅型型紙(一)・(二) 沖縄県立芸術大学附属研究所, 2002.3.


柳悦州・平田美奈子の序言に寄れば、この資料集には鎌倉芳太郎が戦前に沖縄で収集した

紅型型紙のうち、沖縄県立芸術大学に寄贈された1,441枚が全て収録されているとのこと。

白黒の型紙写真には、色鮮やかな紅型とはまた違った迫力があり、着物にほとんど興味のない

私でも魅了され、ページをめくるごとに、その卓越した技法とセンスのすばらしさに興奮してきます。

 

なお、沖縄県立芸術大学附属研究所の画像データベースでは、

紅型型紙1414点がWeb上で公開されています。

鎌倉芳太郎資料集(調査ノート編、写真資料編、紅型型紙資料編)

 

キーワード検索で、それに該当する模様を一発で検索する時には、データベースは大変便利です。

しかし、型紙の迫力と、細部をじっくりと見るには、個人的には冊子体の『鎌倉芳太郎資料集』がお勧めです。

また、鎌倉写真の大迫力は、なんといっても『沖縄文化の遺宝』(岩波書店 , 1982.10)に勝るものはないでしょう。

画像データベースと比較してそのように書いても怒られることはないはずです。

なにしろ鎌倉芳太郎が84歳にして、まさしく最後の力を振り絞り、刊行にこぎつけた執念の書ですから。

大型本につき、こちらも近くの図書館に所蔵されていれば、是非ご覧ください。

 

さて、「琉球人は雪をみたのか」についてですが、

話が横道にそれて長くなってしまったので、

またの機会とさせていただきます。

| 中村裕史 | 調べる | 19:22 | - | - |
「縄のれん文のれん」の秘密?

昨日投稿の中村裕史さん「縄のれん文のれん」が、「そういうことでしょうか?」と疑問符で終わっていますので、
その答というわけではありませんが、「縄のれん文」の秘密?を少し・・・


(中村さんの投稿より)

この暖簾について静岡市立芹沢げ霹術館学芸員の白鳥誠一郎さんが、
「1本1本の縄に立体感があり、縄のざくりとした感じを伝える。
 一方で、『暖簾の中にさらに暖簾がある』というウィットもきいた作品」
と書いていいます。(『芹沢模様図譜』より)
まさに、中村さんのいう洒落のきいた作品なんですね。
それにしても、全く平面の型染めながら、一本一本の縄の立体感や、
大きくゆったりと結われた縄暖簾全体のボリュームが感じられて、
そこに芹沢の並々ならぬ力量が表れています。

暖簾は1955年の制作で、
前年に出雲地方を旅した時に訪れた宍道の旧家・木幡家の縄暖簾がモチーフだったと聞きました。


(木幡家住宅『日本の民家』より)

出雲旅行の成果の一つが「出雲二曲屏風」で、
「・・・旅は印象的で『初めての土地の美しい風景に接し、大いに模様心を掻き立てられ、
 帰るのを忘れるほどでした』と記している。帰宅後すぐに制作したのがこの屏風である」
と、白鳥さんは書いています。(『芹沢模様図譜』より)
この屏風に、木幡家の暖簾も描かれています。


(『宗廣コレクション 芹沢げ霤検擔渭燭茲蝓

芹沢は、旧家の屋敷にかかる大きな縄暖簾に「大いに模様心を掻き立てられ」たのでしょう、
そのボリュームを表現するために、縄暖簾を大きく結い上げた模様を構成します。
そしてその模様を暖簾に仕上げたのは、芹沢げ陲涙落っ気だったに違いありません。

| 大橋正芳 | 調べる | 15:14 | - | - |
松山の竹細工

愛媛県松山市内で竹細工をしている西原悟志さんの作業場を訪ねました。
愛媛の南予地方は真竹が多く、西原さんは8月から1月にかけて自分自身で竹を採取しに行かれるそうです。

 

 

 

取ってきた竹は油抜きをします。
油抜きには煮るか焼く方法があるそうで、煮るにはそれなりの釜や作業スペースが必要なため、
西原さんはバーナーを使って1本1本竹を炙る方法をとっています。大変な作業です。

 

油抜きは竹が腐るのを防ぎ長持ちさせるために行います。

 

 
幅取り(左)と面取り(右)の刃物使い

 


自宅のガレージ横の竹材置き場

 

20代後半に大分の訓練学校で竹細工を学び、
30才の頃にカルチャースクールなどで竹細工の教室を始められた西原さん。
竹で生計をたてるためにはいろいろやっていかなくてはならないと、
訓練所にいるころから教室で教えるという構想を練っていたそうです。
「僕おしゃべりが好きなんで」と笑う西原さん。
自分の長所を生かしながら、どうすれば竹の仕事で食べていけるかを模索し人一倍竹と向き合ってきたか、
話を伺っているといろいろと考えさせられました。

 

教室では生徒さんが作りたいものを作れるよう、
材料の準備は全て西原さんが行うので教室では編む作業だけを行います。

 


教室で使うサンプルの品々

 

生徒さんからの要望は様々なので、それらに合わせた材料作りは大変です。
作るものの多くはクラフト寄りですが、西原さん自身からは職人的な雰囲気を感じます。

 


試作中の籠

 

今後は教室だけでなく仕事仲間を増やし、
作る量も種類も依頼があればどんどん増やしていきたいと意欲に満ちていました。
身近に材料があっても職人さんがいなければ活かされません。
志のある作り手さんが愛媛の竹の手仕事を盛り上げてくれそうな気がします。

| 門田真記子 | 調べる | 15:26 | - | - |
10月上旬。小田原の桶辰へ。

作業場をのぞくと、蒸し器の取っ手を作っているとかで、鉋がけ中でした。

少しおじゃまして話を。

 

味噌樽や飯台に混じって見慣れない物が。

鯛を釣る時に餌にするカニを入れる生簀だとか。蓋すれば椅子にもなる。

釣り道具にこだわる人は入れ込むので、なかなか洒落た一品です。

桶辰の大将は「私はせっかちだから釣りはやらない」のだそうです。

手間ばかりかかるから、そんな値段じゃやれないと、釣具屋と喧嘩しながら

作ってもいるそうですが、確かに手間のかかる仕事です。

 

家庭用の味噌桶が三つばかり重ねて置いてあったので、味噌造りの話になって、

話しの流れで、関西方面の味噌屋の話に。

桶屋がいなくなると困るから、社員を桶屋に弟子入りさせて、自分とこで職人を

要請している味噌屋もあるとか。対応策を考えているところもあるようです。

 

ちなみに家庭用の味噌桶で味噌を作って漏れませんかと聞くと、

味噌桶は板目で作ったって、どうしても少しは漏るものですよ。

写真パネルがあって、風呂の写真が。

「木の風呂は昔なら15年もったし、こっちも太鼓判押して出せたが、

今は10年がせいぜい」だそうです。現代の家の作りは密閉されていて

湿気が抜けにくく、床に半分はめ込んだりするから痛みも早い。

住環境の変化が、昔ながらの道具の耐用年数を短くする要因にもなるようです。

 

風呂を作る技術と和船とは関係あるんですか、なんて話から佐渡の「たらい船」

の話になりました(ちなみに船大工とは関係ないんじゃないの、とのこと)。

以前、江ノ島の会社が佐渡のたらい舟を作っている桶屋に注文したら、

おたくの近くで修理できる人が居るなら作ってもいいと言われたそうで、

その会社から桶辰さんのところへ修理できるかと問い合わせがあった。

桶辰さんが、修理できると答えると、江の島の会社がそのことを佐渡方面へ伝えた。

だったらその人に作って貰ったらどうだということになり、

結局、桶辰さんが「たらい舟」を作って納品したのだそうです。

まだ江の島にあるのかどうか。

 

いろいろな注文が来ますね。欲しい人はいるから、探して注文してくるんですね。

「修理の依頼やら色々くるから、しぬにしねずに頑張っております。」  

| 中村裕史 | 調べる | 21:07 | - | - |
俊彦窯を訪ねて

天気が良いので、陶器市会場へ向かうバスを、下立杭で降りて歩くことにしました。

久しぶりに晴れ渡った秋晴れのもと、アベマキの巨木の緑と鳥居の朱が鮮やかです。

歩いていると少し汗ばむ陽気ですが、それでも、木陰に入ればさすがに秋です。ひんやりします。

大きな樹には磁力があって、みなさん自然と引き寄せられます。  

 

 

窯元の店先に並べられた器をぶらぶらと眺めながらも、丸々と太った栗に柿、採れたての丹波黒豆の枝豆。

心躍るものが沢山。

帰るころには売り切れると言われ、…やはり枝豆だけは買うことに。

すぐそこの畑から収穫してきたばかりで、はち切れるほどに実が充ち充ちていています。  

 

 

枝豆を振り振りしばらく歩いて、道を左手に折れて、

盛り上がる青い山と空を仰ぎながら行けば清水俊彦さんの窯。

春の祭りに訪ねれば鯉幟がはためきます。

奥さんに挨拶。お元気ですか。俊彦さんもお元気でしょうか。

作業場に連れて行ってくれました。

 

作業場はほの暗く、陶器祭りで訪れる人達の声もなんとなく聞こえてくる程度。

その中の陽だまりに腰掛け、清水俊彦さんは仕事中でした。

俊彦窯を訪ねるのは三度目になりました。私は出不精ですが、行き始めると何度も行くのです。

お会いするのは、久野恵一さんのお別れ会以来です。

私のような若造を相手にしても、面倒がらずに話をしてくれて、本当にありがたい。

少し痩せましたか。  

 

 

倒れてから、まだまだ体は本調子ではないけれど、仕事は毎日毎日しているそうです。

食事も休み休みで時間はかかるが、美味いと思える。

朝昼晩、三度三度ちゃんと食べる。ただ、ゲップが出ると苦しい。

治療のことなどもあれやこれやと。ちょっと愚痴も。

でも、息子さん夫婦が同居していて、孫三人に囲まれた生活。

お孫さん達には本当に癒されているのだそうです。

 

あんた歳いくつ」「うちの息子と変わらんね」「結婚してるのか」「それはイカンね」

・・・ご心配いただき恐縮です。

 

 

毎日毎日仕事しているので、コンテナや段ボールの中には窯入れを待つ器がたくさん。

祭りに合わせて焼きたかったそうですが叶わず、なんとなく少し寂しそうでした。  

 

 

エビの筆書きは、比較的早くに、好い感じで出来るように復活したそうです。  

 

 

左側の登り窯は2,3年焼いていないそうです。

展示するにしても、中心となる大物がないと他の物も見栄えがしない。展示会の心配。

前回は、作って置いておいたものがあったから良かったけれどと。

 

 

伏せ合わせの状態で乾かしてあった鎬の皿を見せてくれました。

勢いがあってリズミカルで、躊躇なく、潔い。鎬を入れる音が聞こえてきそうです。

鎬や面取りをやる職人は多いですが、数物作りの美しさが際立つのは、やはり清水俊彦さんの仕事でしょう。

丁寧にやれば魅力的なものが出来るかと言えば、そうはならないところが手仕事の面白さです。  

 

 

俊彦さんの轆轤。毎日毎日仕事しているというロクロです。

鎬や面取りの際に削り出されて下に落ちた土に、砂利やゴミが入らないように、

常に轆轤周りの掃除は怠らないのだそうです。また使えるから。

 

作業場から出ると、相変わらずの秋晴れで風も柔らかです。

俊彦さんが玄関先の縁台に腰掛ければ、みなさん自然と引き寄せられます。

 

俊彦さん奥さん、お忙しい時におじゃまいたしましたが、いろいろとお話ありがとうございました。

また、伺わせていただきます。

| 中村裕史 | 調べる | 21:00 | - | - |
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