手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
外村吉之介の漆器

倉敷民藝館の館内ショップには、伊予桜井漆器の品々が適当な数、ほどよい種類で揃っています。

近県の商店ではあまり見かけたことがなく、
なぜ倉敷民藝館で桜井漆器が取り扱われているのか、以前からの疑問でした。

そして昨年、全国フォーラムの地 倉敷で訪れた瀧山さんの工房。
整然と飾られたフライヤーたち。
何気なく見ていたら目に留まるものが。
▽「山陽民藝260号 平成27年6月号」

山陽民藝260号 平成27年6月号.jpg
偶然ですが、例の疑問が解けそうな感触です。
目を走らせると
“外村が創意し、四国の漆器屋で試作を重ねて完成した、高台がやや高めの朱塗りの椀”
とあります。なるほどしかり。倉敷と桜井はそういうわけで繋がっていたんですね。

山陽民藝260号の内容.jpg
後日、知人とこの話をしていると、知人はその漆器屋を知っているということに!
贈答用としてこの汁椀を贈ったこともあるそうです。
灯台もと暗し…早速取材に出かけました。


お店は愛媛県今治市桜井の戸倉屋漆器店。
創業は大正4年。

▽戸倉屋 正面
戸倉屋玄関.jpg 

▽店のお隣 外村先生が好んだという米蔵の建物

米蔵た?った民家.jpg
建築にも造詣が深かった先生らしい一面です。

戸倉屋漆器の代表は3代目は渡辺和則さんで、渡辺さんの義理のお父様である、2代目 渡辺利恩(わたなべとしおき)さんが製造と卸をされていたそうです。
当時は現在のような小売りをしていませんでした。

この時期に外村先生が訪ねてきては滞在し、漆器の試作に挑んでいたそうです。
​外村先生の考えを漆器に表現することに協力したのが戸倉屋。
周囲の漆器屋は利益が高い製品作りを追い求める中、利恩さんは商売の傍ら外村先生の活動に協力していたそうです。
二人が意気投合したのか、外村先生の熱意に触発されたのか、利恩さんの懐の深さを感じます。

▽外村型民芸汁椀
 汁椀3のコヒ?ー.jpg
汁椀2のコヒ?ー.jpg 
朱一色で塗られたのかと思いきや、高台の内側は黒塗り。
外と内が完全に塗り分けられています。
通常の汁椀に比べて高台がやや高めになっていて、持ち易さを考え抜いて行き着いたかたち。
外村先生の求めた美と実用の完成形です。
 

 

▽鈴木繁男氏による絵付け
 鈴木繁男か?考案した絵付け3種(左から鱗、千鳥、桔梗).jpg
鈴木繁男先生も戸倉屋を訪れ、絵付けの指導をされました。
右端より桔梗、千鳥、梅?
私見ですが左は砥部焼 中田窯の「旗」の絵付けに重なりを感じます。
同時期に鈴木先生の指導を受けた漆器屋と窯元というところでしょうか。

 ▽漆を塗る職人の絵
芹沢?介か?描いた型染めのコヒ?ー.jpg
こちらは芹沢先生が描いた型染と伺いました。
芹沢先生が戸倉屋を訪れ、絵付けをしている作業風景を描いたそうです。
たくさんの指導者が戸倉屋を出入りしていたのですね。

▽その昔町内にあった商店
 町内の店.jpg
以前は桜井地域で50店舗あった店も現在は4軒ほどになったそうです。

| 管理人 | 調べる | 19:26 | - | - |
北国街道の手仕事

お盆に少し休みをもらい、妻の親戚を訪ねて新潟に行ってきました。

大きな鮮魚店が軒を連ね、観光客で賑わう寺泊から、

日本海に沿って走る北国街道を少し南に向かうと、

山田という小さな集落があり、曲物を作っている工房がありました。

江戸時代末期には篩(ふるい)の産地として記録が残っており、

30〜40年前までは10軒ほどの家が営んでいたようですが、

現在残っているのはこちらの1軒のみだそうです。

先代は地元の杉を使って作っていたそうですが、

現在は和歌山から檜を取り寄せ、電子レンジなどでも使える蒸籠なども

製作されているとのこと。

テレビで紹介されたおかげで注文が寄せられて大変だとか。

 

製作途中の蒸籠。板目をつかっています。

 

もちろん、昔からの仕事も続けられており修理なども受けているそうです。

修理に寄せられた蒸籠はよく使い込まれていました。

 

当代(十一代目)は40代半ばで、手仕事の世界で言えば若手、

これからに期待したいと思います。

| 久野民樹 | 調べる | 07:56 | - | - |
鳥取フォーラム予習編:湖山池へ

鳥取には、湖山池(こやまいけ)という池があります。

今まで名前だけは見覚えがありましたが、

国道9号を使って移動していると姿が全く見えないこともあり、

見に行ったことはありませんでした。

今回、鳥取フォーラムの下見のため、初めて足を伸ばしました。

 

いわゆる「汽水湖」(浜名湖と宍道湖と同じような、海水と淡水が入り交わる湖)で、

「池」の名がつくものの中では日本最大だそうです。

この湖山池を囲む高台に吉田璋也によって昭和39年に建てられたのが、「阿弥陀堂」です。

 

「阿弥陀堂」という名前からは、仏様が収められている仏堂をイメージしますが、

こちらは逆で、湖山池に浮かぶ島々を阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩と見なし、

それらを拝む堂として名付けられてました

阿弥陀堂の正面から見える、一番大きな津生島が阿弥陀如来。

その後ろに覗くのが青島で、勢至菩薩に見なしています。

 

メインの建物となる八角堂。

湖に向かって仏具が備えられています。

雨戸がしまっているのでわかりづらいですが、

湖山池の眺めは素晴らしいものです。

吉田璋也は晩年よくここに来て、過ごしていたそうです。

閑静な土地で、豊かな自然に囲まれて、のんびりと景色を眺めたくなります。

2年前に改修され、予約は必要ですが、一般に開放されています。

https://mingei.exblog.jp/28464204/

 

今回の鳥取フォーラムでも訪れます。

どうぞお楽しみに。

| 久野民樹 | 調べる | 06:14 | - | - |
苗代川焼

苗代川、現在では美山と呼ばれる地域で作られてきた焼き物を苗代川焼と呼びます。

黒薩摩と白薩摩と、2つの薩摩焼を作ってきた土地です。

 

柳宗悦は「手仕事の日本」の中で、

「苗代川は「黒もん(黒薩摩)」があるが故に、日本で最も優れた

民器を焼く窯として褒め称えられねばなりません」と書いています。

 

残念ながら現代では往時の雰囲気は失われてしまっており、

もはや残されたものからしかその姿を見ることしか出来ません。

甘酒を作るための甕である甘酒半胴(はんず)がその代表で、

横山さんの連載「昔の物今の物」でも紹介されました。

http://teshigoto.jp/serial_report/mukashi/vol105.html

 

久野恵一が所蔵していたものもいくつか紹介しておこうと思います。

蛤合わせの小皿です。

縁に釉薬がかけられておらず、2枚を上下に縁同士を重ね合わせて

焼かれたことからこの名がつけられています。

厚手でしっかりと縁が取られた形、赤黒い陶土にざっくりと掛けられた黒釉、

小さな物ですが、独特の迫力があるように感じます。

 

| 久野民樹 | 調べる | 00:27 | - | - |
大原さんの聖書と十字架

外村先生の残された美しい十字架の話に続いて、大原本邸(旧大原家住宅)で見かけた聖書と十字架を紹介します。

大原孫三郎さんは、キリスト教の洗礼を受けていたため、使い込まれた聖書と、十字架がモチーフのデザインが展示されていました。

大原美術館で最も有名な絵画の1つ、エル・グレコの『受胎告知』は聖母マリアが描かれたものです。

大原さんが行った数々の慈善活動と文化活動は、キリスト教の思想と理念に基づくものが多くあります。

美しい倉敷の街は、外村先生と大原孫三郎さん、2人の信仰により後世に残されたものがたくさんあり、今度は「キリスト教」という観点からこの街を歩いて学んでみたいと思っています。

書き込みがされ、使い込まれた聖書

 

孤児院で使用されたマーク

 

病院で使われたマーク

 

| 瀬部和美 | 調べる | 21:36 | - | - |
外村先生の十字架

倉敷本染手織研究所を設立された外村吉之介先生。

外村先生は、キリスト教の牧師でいらっしゃいましたが、研究所の生徒さんには布教活動はされなかったそうです。石上先生によると「聖書のお話はよくされていたけれど、生徒たちには布教はされなかった。食事の前も先生はお祈りをされているけれど、生徒たちはその間は待っていた。」とのことでした。

先生が倉敷本染手織研究所を始められた目的は、日本全国に美しいものを行き渡らせたい、そのためには全国から人を集め、その「人」とは未婚の女性とし、卒業してからは家族と自分のために美しいものを作れるようにしてあげたい、ということだったそうです。

それは、外村先生が、世界各地、日本各地でたくさんの美しいものを見てこられ、最も美しいと感じられたものが、「母親が子どものために作ったもの」だったからだそうです。

研究所では布教活動はされなかったけれど、「美しいものを作り出せる人を育てること」を、大切にされ、生徒さんたちに「美しいものを広めること」を託されたのではないでしょうか。

一方、牧師としてとしての先生は、日本にキリスト教を広めるにあたり、ただヨーロッパ式のものを持ってくるだけではなく、日本の人々に合うものを考えられたそうです。

教会に掲げる十字架について、木綿を素材に使ったり、藍やベンガラの色を使ったりして、人々が親しみやすく、また日本人的な感覚として美しいと感じられるものを目指しておられたそうです。

研究所で見せていただいた外村先生が作られたものの中に、アイヌの文化である「オヒョウ」という植物の樹皮から採った繊維で織った織物に、木綿で十字架のアップリケを貼ったものがありました。

それは、民藝的にも、日本人の好みとしても美しく、また十字架としても美しいものでした。

外村先生が、「美しいものを作り出せるように育てられた研究所の人々の作るもの」と先生ご自身が作りだされた十字架などの「美しいもの」は、後世にずっと残ることでしょう。

外村先生の作られた十字架(特別に許可を得て撮影しています)

| 瀬部和美 | 調べる | 18:54 | - | - |
『箕サミット2017の記録 箕づくりの技を伝える』

昨年の11月に開催された「箕サミット―編み組み細工を語る」の公式の報告書が

2018年3月に刊行され、現在、ネット上でも閲覧することが出来ます。

 

『箕サミット2017の記録 箕づくりの技を伝える』

独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所

 

 

「箕サミット」については、このブログに報告がアップされています。

箕について 

 

この報告書を読むと、箕づくりの技術を伝えることの難しさ深刻さが伝わってきます。

教える側の高齢化と負担。

教わる側も箕作りを生業にするわけではないという状況。

また、地方と都市部の人口差など様々な要因があることが分かります。

 

報告書を読んで、このサミットの最後の話題が

「箕づくりと差別をめぐって」であったこととを知りました。

広範で活発な議論が交わされたことが分かる興味深い報告書です。

興味のある方は是非ご一読ください。

| 中村裕史 | 調べる | 10:22 | - | - |
もやい工藝での雑談は勉強会

鎌倉もやい工藝のスタッフさんとの雑談は、勉強会みたいになることがあります。

沖縄やちむん展で伺った際に、若いつくり手の窯の仕事について話を聞きました。

窯出しのたびに上手くなっているつくり手がいるとのことで、どこがよくなっているのか?がテーマです。

もやい工藝としては、沖縄らしい形を目指して、細かい注文をしているそうです。

たまたまスタッフさんが何年か前のものを持っていたので、今回のものと比較して、具体的に説明していただきました。

 

 

写真左が前のもので、写真右が今回のものです。

写真ではなかなかわかりませんが、高台の違いはわかるでしょうか。

実際に触ると、様々な違いに気がつきます。

重さ、厚さ、バランスなどなど、見ているだけではわからない情報を、手が感じとります。

そして、スタッフさんが的確に言語化して教えてくれます。

なるほど!

沖縄らしい形がわかります。

その後、ベテランのつくり手のものを触ると、やはり上手いなあと理解できます。

 

ものは、眼と手で選ぶものだと感じました。

スタッフさん、ありがとうございました。

 

| 坂本光司 | 調べる | 09:40 | - | - |
合鹿椀

先日の「昔の物今の物」学習会第1回で

横山さんが持参し、見せてくださった本です。

 

合鹿椀(ごうろくわん)は、能登半島の内陸に位置する旧柳田村(現・能登町)を

中心に作られてきた木椀です。

「合鹿」の名は、村の集落名から来ています。

ズバリ「合鹿椀」という名前がつけられたこの本は、

その旧柳田村によって刊行された本で、

かつて作られていた合鹿椀の写真が多数収録されるとともに、

その歴史、形状の変遷、村人たちへの聞き取り調査から、

漆の成分分析にいたるまで、驚くほど詳しく調査・記録されています。

 

 

横山先生のコレクションを拝見した際、 「飛騨椀」と呼ばれる、

素朴で荒々しくも 堂々とした形の木椀に惹かれました。

その形のベースとなったのが、この合鹿椀であると思われます。

 

この本の中で、合鹿椀の美しさについて語られた文章がありました。

一部を抜粋します。

---

あたかも木喰や円空の作仏をみるように素朴であり、 重厚であり、

かつて「全く巧まずしてなされた芸術品」と感嘆され、 賞賛されたものもある。

時代が古いほどに純真さがあり、稚拙さも見え、用途に適う正直さがわかる。

(中略)

あくまで日用の機能美を追求し、椀形の描くカーブに筆舌に尽くし難い

古典美が汲み取られる。

(中略)

凛として犯し難くたのもしい形姿、一見無雑作に塗りつけて出来た落ち着いた色調は、

まさに健康そのものであり、現代椀の浮薄さをはるかに超絶して足元に寄せつけぬ。

これこそ古代椀として独自の風格を持つものとすべきである。

---

本の内容について、少しずつ紹介していこうかと思います。

(つづく・・・かも?)

 

| 久野民樹 | 調べる | 18:01 | - | - |
房総のカゴ作りは健在

千葉・房総半島のカゴの作り手さんを訪ねました。

南房総で作られる花籠。

地元で盛んな花の栽培をはじめ、広く用いられる背負いカゴです。

今でも変わらず地元の農家さんが求めるとのこと。

 

この作り手さんはまもなく90歳ですが、

そんな歳が信じられないほど若々しい方です。

 

ちょうど仕上げで、カゴの足を組んでいるところでした。

カゴを足で押さえ、足となる竹をぐいぐいっと押し込みます。

相当な力をかけている様子。本当に90歳?

 

この集落ではかつて多くの作り手がいたそうですが、

今ではこの方だけ。もちろん後継者もいません。

この時代、このような仕事が残っていること自体が奇跡と言って良いでしょう。

 

元気に仕事を続けて頂くことを願うことしかできず、

無力さを感じざるを得ません。

 

| 久野民樹 | 調べる | 09:17 | - | - |
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