手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
いかご

倉敷での全国フォーラムで最初に訪ねた現場がいかごをつくる須波さんの工房でした。

到着すると様々な工芸品が目を引きます。

いかごはネットなどで目にしたことがありましたが、実際に手に取ってみたのは今回が初めてでした。

編組品というと竹やアケビなど手で編み込んでつくるイメージがありましたが、いかごは織物と同じような織り機で製作していました。

須波さんはまだ20代のつくり手で、おばあさまから教えてもらって今では一人で製作しているとのことでした。

織物のバッグのように全面同じように織って、それを加工して袋状にするのではなく、織る時点でどの部分になるのかが決まっていて、力のかかる底の部分はい草の本数を変えて織っているそうです。

縁などの仕上げは手作業で編み込んでいきます。

製品として置かれていたいかご。

元々は闇市使われていたカゴでヤミカゴと呼ばれていたそうです。

あけびなどのように代々使い続けられるようなものではないそうですが、

しっかりとしたつくりで日常使いに良さそうなカゴでした。

| 副島秀雄 | みる | 16:43 | - | - |
瀧山さんの仕事

瀧山さんの工房見学。

倉敷緞通は織物。織物といえば女性の仕事のイメージがありますが、

緞通の機は巨大で、実に男性的な仕事です。

 

この機には瀧山さん自らが考え出したアイディアが大胆に組み込まれていて、

単なる機というものを超え、ある種のマシンのような印象さえ受けます。

しかし姿こそダイナミックですが、細やかな工夫が多く散りばめられていました。

いずれも良い物をたくさん作るために、長年積み上げて来たものです。

 

そしてこの日は、織りあがった緞通の仕上げ工程を見せてくださいました。

古いミシンに丁寧に油をさします。

製造時期などは失念しましたが、年代もののミシンで、

すでに壊れているところもあるけど、丁寧にメンテナンスをしながら

使っているようです。

 

先ほどの織りの工程とうってかわって、

繊細な仕事ぶりを見ることができました。

 

道具を細やかかつ丁寧に扱い、妥協せず、仕事にも隙を見せない姿勢、

瀧山さんのプロとしての姿を垣間見た時間でした。

ありがとうございました。

| 久野民樹 | みる | 14:55 | - | - |
小谷栄次さんのハンドル付け

倉敷での全国フォーラムに参加しました。

倉敷ガラスの工房を見学させていただき、小谷栄次さんの実演では、ハンドル付けを見せていただきました。

無駄のない動きは、はやく、美しくて、感動します。

美しいものは、美しい動きから生まれるのかもしれません。

美しい動きは、もちろん、訓練度の高さからくるのでしょう。

 

 

 

素晴らしい!!

 

栄次さん、ありがとうございました。

また、倉敷フォーラム開催にご協力してくださった皆様、ありがとうございました。

 

| 坂本光司 | みる | 09:06 | - | - |
倉敷 本染手織研究所

倉敷フォーラム前日、本染手織研究所を見学させていただきました。

美観地区の中心部に位置し、風格がありながらもひっそりとした佇まい。
外村吉之介氏がここを「世界一小さい学校」として開設した昭和28年の第一回から毎年研究生を迎え、
第四十回までは外村氏自身が卒業生を送り出したそうです。
この「本染手織」と掲げられた「本染(ほんぞめ)」について、
研究所主任の石上梨影子さんより興味深いお話を伺いました。
「本染」とは化学染料が登場したことで、それまでの植物や鉱物その他の天然染料を用いた
染めものを区別して呼ぶために生まれた言葉であること。
これに対し「草木染(くさきぞめ)」というジャンルもあるが、外村はこれを嫌ったのだそうです。
草木染は身の回りの植物のほとんど何でも何かしらの色が出るとするが、中には堅牢度に難があるものも含まれる。
このため、外村は、昔から染料として使われてきた、堅牢度に実績のある、
先人たちの選び抜いた天然染料を用いる「本染め」にこだわった、ということでした。
天然染料の中で一番の基本となる藍染めは、今も毎年、藍を新しく建てるそうです。
研修生が卒業後に自分で藍を建てられるようにと。
| 指出有子 | みる | 22:57 | - | - |
芹沢の底力
IMG_6370.jpg

静岡市立芹沢げ霹術館では「芹沢げ陲離ぅ薀好肇譟璽轡腑鵝彭犬開催中です。
7.15-11.25
http://www.seribi.jp/

IMG_6375.jpg

美術館前の案内板の上に並んだ四角や丸の文様は、柳宗悦『手仕事の日本』の小間絵です。
小間絵(こまえ)は駒絵とも書き、文中に挿入された小さな挿絵、カットのことです。
全国の手仕事が20数センチ四方の中に凝縮されて描かれた原画は、さらに縮小されて本に印刷されました。

学芸員の白鳥誠一郎さんが日本民藝協会の雑誌『民藝』787号に寄稿した「芹沢げ陲半間絵」の中で、
芹沢が若い頃に憧れた富本憲吉や石井柏亭などが描いた小品は、香合、水滴、猪口などの絵に通じるものがあるとして、
「局限された空間に溢れる大きな世界、堅固な造形。たたえられた自由さ豊かさに打たれるのです。私は自分の気持ちを盛り上げてゆける仕事としてこの小間絵を好みます。」
という芹沢の言葉を紹介しています。

今展は「染色家」芹沢の一面を「イラストレション」として紹介する初めての企画ですが、
本の装幀や新聞の挿絵、また『絵本どんきほうて』もさることながら、小間絵やマッチの箱などの小品には、
同時に展示されている着物や屏風の模様と共通するものがたくさんあり、
むしろ、その小さな世界に「あふれる大きな世界」にこそ芹沢の底力を感じます。ここにこそこの企画の狙いがあり、展覧会の見所だと思います。
ふと、焼きものの世界で、力のあるつくり手のつくる小さな器には「大きさ」がある・・・ということを思い起こしました。

9.2で終了する日本民藝館の「書物工芸」展と共通する点が多々あり、特に興味深く拝見しました。
民藝館では雑誌『工藝』が全120冊展示されていましたが、この雑誌は芹沢の装幀や小間絵抜きにはあり得ないほど。
芹美では、未発表の小間絵を民藝館から借りて展示されています。柏餅や羊羹など、お菓子の小間絵もあるんですよ。
どうぞお出かけください。特に「書物工芸」をご覧になった方はぜひとも。
また、小品の多い展示です、一つ一つ見ていると2時間以上は必要・・・そのつもりでどうぞ。
 
| 大橋正芳 | みる | 23:26 | - | - |
小椋さんが作ったという会津郷土料理に使われる「こづゆ椀」

会津若松に行ってきました。

 

鶴ヶ城を目指してぶらぶら徒歩で街並み散策です。

直線で交わっていない十字路などは敵の侵入に備えた城下町特有のありようでしょう。

私の故郷の小田原もそうですが、

城下町というのは大抵どこもあかぬけない印象が共通しています。

ちぐはぐでアンバランスな景観がなんだか懐かしく感じます。

 

さて、なんといっても会津漆器を取り扱う店が目立ちます。

そして、どの店も実に風格のある建物を今に伝えています。

 

会津漆器協同組合のホームページによると会津漆器の歴史が次のように説明されています。

「会津の地に本格的に漆工芸が根付いたのは、天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の命を受けて

会津の領主となった蒲生氏郷公が産業として奨励したことによります。氏郷公は前の領地であ

った日野(滋賀県)から木地師(きじし)や塗師(ぬりし)を呼び寄せて先端技術を伝授させます。」

http://www.chuokai-fukushima.or.jp/aizushikkikumiai/

 

蔵造りが多いですが、白木屋のような大正時代初期の洋風建築も残されています。

資料室も併設されていて実に立派なものでした。

蔵造りの鈴木屋利兵衛に入って見学していると、会津郷土料理に使われる「こづゆ椀」があり、

独特の面白みがあるので見ているとお店の方がいろいろと説明してくれました。

この「こづゆ椀」は木地師が塗りもやっている工房の物だそうです。

丁寧すぎない塗り方に共感を覚えたので製作者の名前をお聞きしたところ、小椋さんだそうです。

 

諸説あるようですが、小椋という姓は木地師とかかわりがあり、滋賀県東近江の小椋庄から

全国に広がったというのはよく知られた話です。

ちなみに、福島県が小椋姓が一番多く、福島の中でも会津若松が一番多いのだそうです。

蒲生氏郷公が呼び寄せた職人集団の流れをくむ方なのでしょうか。

そのように思いながら見ていると、何となくありがたみが湧いてくるから不思議です。

| 中村裕史 | みる | 21:35 | - | - |
手仕事フォーラム学習会「昔の物 今の物」開催

今年の手仕事フォーラムは「昔の物 今の物」を活動の軸にしています。

SILTAでは「昔の物 今の物」を連載中です。

そして、学習会「昔の物 今の物」も開催しています。

 

 

第3回は、「伊万里焼」でした。

横山正夫さんが、ご自身の蒐集品をお持ち下さり、解説してくださいました。

また、中国明末の染付から初期伊万里など、とても貴重なものを実際に触ることができて、勉強になりました。

 

(写真は中国明末のものです)

 

横山さん、ありがとうございました。

第4回も開催しますので、是非、参加してください。

 

| 坂本光司 | みる | 08:16 | - | - |
日田の街歩き〜小鹿田古陶館〜

先日の小鹿田・小石原への訪問の際、日曜日の午前中に日田の街を散策する時間を取りました。

実は何度も小鹿田を訪問していますが、日田駅周辺をゆっくり歩いたことはありませんでした。

参加メンバーはみんな同じような感じで、どこに行こうか調べていると『小鹿田古陶館』という場所を見つけました。

全員が初めての訪問、ワクワクしながら伺いました。

館内は、江戸時代のものも含む、小鹿田の歴史を窺える古い貴重なものがたくさん展示してあります。

展示がガラスケースの中ばかりではなく、外に展示されているものもあり、間近で名品を見ることができます。

さらに一部のものは、手を触れても構わないと言っていただき、持ち上げてみると・・・「軽い!」。前日に坂本浩二さんから、昔の小鹿田の土のほうが薄く作ることができた、というお話を伺っていたので、それを実感することができました。

様々な角度から見たり、手に取ったり、写真を撮ったり、一同、大興奮です。

収蔵品の中の一部とのことですが、これだけの種類と数の小鹿田焼が見られるところは、他にはないのではないでしょうか。

個人の方の収集品が元になっているので、通り一遍の美しさではなく、愛らしいものや面白いもの、また当時の人々の生活を垣間見られるものがあり、本当に心躍る場所でした。

現在は創設者の方の息子さんの奥様が受付などをしておられ、この方が若い感性でInstgramでの収蔵品の紹介などもしておられます。

onta.kotoukan』さんです。ぜひ検索してみてください。

私もフォローさせていただいていまして、見たことのないタイプの小鹿田のものが見られるので、更新を楽しみにしています。

なお、小鹿田古陶館さんの開館は不定期になりますので、訪問を希望される方は事前に連絡を入れられたほうがよいと思います。

日田の街にまた訪れたい場所ができました。

 

 

| 瀬部和美 | みる | 10:56 | - | - |
「没後40年 濱田庄司展」

世田谷美術館にて始まった濱田庄司展を見てきました。

 

「大阪市立東洋陶磁美術館には、濱田と長年交流し、濱田の器を日々の暮らしで使い続けた堀尾幹雄氏(1911-2005)寄贈の200余点が収蔵されています。本展はこれらの作品を中心に、その創作の源泉として濱田が蒐集した素朴な器などと共に、暮らしに息づく濱田庄司の器の魅力をご紹介します。」(世田谷美術館HPより)

 

浜田の収集品のコーナーに、濱田が英国で出会ったスリップウエアと、その隣に瀬戸の馬の目皿が並べられています。

こうして並ぶと、その物のの持つ本質的な類似性が浮き彫りになり、なるほどと思わされました。

 

また、濱田の京都での陶磁器試験場勤務時代の釉薬の実験ノートが展示されているのですが、その几帳面に美しい字で書き込まれたノートに、晩年の濱田の写真から受けるおおらかな印象と違った精緻さが見られ、そのベースがあってこそ、多様な釉薬を自在に使いこなし果てしない創作が可能だったのだと改めて思いました。

 

実際、濱田の作品の多様さといったらありません。

なんと多くの形と釉薬のバリエーション、その上に絵付けのデザインまでも!

それでいてどれもが濱田のものと分かる。

そしてこれだけ多くの作品の中に、一つとして「これはちょっと・・・」と引っかかるものがないことが驚異的で、

(それは収集者の眼の力かもしれませんが)

ゆえに単に一人の作家ではない、柳に認められた「民藝派作家」で「人間国宝」なのだとまざまざと感じました。

 

もちろん、全てが濱田が一から産み出した完全なるオリジナルではなく、様々な物を見て吸収して取り込んでいったわけですが、

それを消化し、このレベルでアウトプットできるというのが、もの凄いです。

 

ピッチャーもこのとおりの多様さ。(図録より)

 

袋物がどれもいい形をしている。でも型物も良い。どれもいい形でいい色柄なのだ。

 

会期は8月終盤までですので、どうぞお見逃しなきよう。

 

会期:2018年6月30日(土)〜8月26日(日)

開館時間:10:00〜18:00(入場は17:30まで)

休館日:毎週月曜日 ※ただし7月16日(月・祝)は開館、翌7月17日(火)は休館。

| 指出有子 | みる | 23:02 | - | - |
伊賀スタディツアー 紺喜染織での染め体験を通して

 落語に「紺屋高尾」という噺がある。紺屋の職人・久蔵が吉原の花魁道中を目にして高尾太夫にひとめ惚れ。彼女に逢いたさで3年間身を粉にして働いて銭を溜め、銚子の醤油問屋の若旦那と立場を偽って念願の高尾に逢い思いを遂げる。別れ際にそれまで隠していた真っ青に染まった指先を彼女に見せ、自分は実は紺屋の職人で3年働いてまた逢いにくると伝えると、その真摯さに心打たれた高尾は、来春年季が明けたらあなたのところへ参ります、と告げる。久蔵は翌春やってきた高尾とともに、親方からのれん分けしてもらった紺屋を繁盛させた・・・というのがそのあらすじ。

 

 今回紺喜染織さんで、藍で染めるのが当然だから藍染めとあえて言わず紺屋といえば藍染めをするところだった、昔は家族のふだん着は家で織っていたから、染めてもらいに近所の人たちがよく持ち込んだものだ、等々のお話を伺い、「紺屋高尾」の風景や紺屋が暮らしの中にふつうに存在していた時代を想像するきっかけになった。

 

 

 

 

 藍染め体験をさせてもらえるということで、高尾見たさに久蔵の紺屋に白いものを持ち込みまくった江戸っ子よろしく、わたしも家にある白い布を物色。あったあった、白っぽいことがネックになって着ないでいた上着が。濃紺になるほど濃くはせずはなだ色ぐらいがいいななどとイメージし当日を迎えた。藍瓶が並ぶ染め場にて、ほかのフォーラム会員さんの作業に見入る。「そろそろ取り出して。ぎゅっと絞ったらぱっと広げて空気にあてて。のんびりやってないでぱっぱとやる」と、紺喜染織の植西さんの手が延びる。瓶から取り出した瞬間は緑がちな青で、空気にあてると徐々に青みがあらわれる。草木染めをやる人から緑を出すには色を重ねる、ときいたことがある。そのときはたしか刈安の黄に藍の青を重ねて黄味寄りの緑だったが、瓶から出されたときの緑色を見て、藍が緑色を内包していることを実感した。そして自分の番。持ち込んだ上着はワッフル生地でしかも二重なので、液をかなり吸う。植西さんに端をもっていただき、もう片端からわたしがぎゅうぎゅうとねじって絞っていく(あなた力あるね、とお褒めの言葉をいただく・・・)。絞り上げて急ぎ広げ空気にあてる。この作業を、染め場に入って手前右の瓶で二回、その左隣で一回、その奥で一回と、計四回繰り返した。三回目の時点でこのくらいの濃さがいいなと思ったが、水洗いすると色がかわってくるときき、四回目を試みてイメージよりも濃いめにし、水場へ。水は井戸水を使用とのこと。

 

 

(今回染めたワッフル生地の上着)

 

(紺喜さんで見かけた座布団。木造建築に藍はよく似合う)

 

 今回は染めの体験だけだが、この染める段階にいたるまでには藍を育てるという農作業があるわけで、手仕事には農業がつきものなのだということを再確認する。そして豊富で良質な水もまたしかり。同じ藍を使って同じように作業しても、水が違えば染まる色も違ってくるはずだ。紺喜さんが紺屋という仕事をこれまで維持し続けてこられた背景には、日々のたゆまぬ労働や努力、創意工夫(一時は染め以外に織りもやり、製品販売もしていたとのこと)、美しい色を提供し続ける姿勢、今回のように藍染め体験を受け入れてくれるおおらかさ等はもちろんのこと、加えて農の土壌や水質に恵まれているということもあるのだろうと思う。植西さんのお人柄を通して藍染めを体験できたのは僥倖だった。

 

| 武藤奈緒美 | みる | 15:15 | - | - |
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