手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
倉敷へ行ってきました

豪雨災害から10日ほど経った7/17、倉敷へ行ってきました。

 

本染手織研究所の石上先生、倉敷緞通の瀧山さん、倉敷ガラスの小谷さんとお会いして、

9/7〜9に行われる全国フォーラムの打ち合わせです。

幸い豪雨の影響はわずかであったとのこと。

 

そして、美観地区をはじめとした倉敷駅周辺はほぼ通常通りです。

雨は相当降ったようですが、浸水は免れました。

(それでも川のギリギリまで水が来ていたそうです)

にもかかわらず、美観地区は人がまばらです。


報道等にあるように、倉敷市内には被害が甚大なエリアもありますが、

倉敷の中心部である美観地区周辺は平常通りです。

自粛などは理解できるのですが、観光地を目指される方は

ぜひ普通に行動いただけることを知っていただきたいと思います。

 

改めまして、今回の豪雨で被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに、

少しでも早く安心して生活ができることをお祈りします。

| 久野民樹 | 報告 | 20:45 | - | - |
自然と人と共に

6月末、連日晴れ渡る九州の旅をしました。
私の旅は常にその土地を実感したく、できるだけ自分の足で歩くようにしています。
移動中の列車や車でも、車窓からの眺めをよく見ます。

(湯けむりが立ち上る別府のまち)


今回私は、別府から入りいくつかの山と川を越え、小鹿田、小石原へ向かいました。
移動中の車窓からも九州は自然が豊かなことがよくわかりました。


海、山、緑、川、緑、山、川、緑の自然豊かな九州でした。

 

小鹿田では、これまでのブログ報告があったように
昨年の九州北部豪雨時の各窯元さんから様子を伺ったお話は
私の想像のつかなかった程の自然の猛威を感じられました。

そして、土地に対する思いと共に人との大切さをより受け止める事ができました。

 

ある窯元奥様との話の中では、
大雨の災害にあって、さてどうしよう、という時に
小鹿田焼を紹介してくれる担い手の皆さんが居るならば
私たちはここで焼き物作ることが大事なんだ、と感じたんですよ。
持って行ってくれる、待っている人がいるんだから、作らないとね。と。

 

きっとその思いになるまで、複雑な思いもあったでしょう。
しかし私には力強い言葉と受け止めました。


それは小石原でも同様でした。

 

昨今の予想がつかない厳しい自然環境の中で、
暮らしから生まれた自然の仕事を
家族と共に切磋琢磨コツコツ進めている姿に改めて逞しさを感じました。

(仕上げ作業中の坂本拓磨さん)

 

(小石原、太田潤さんのガラス工房にて)

 

帰路は、同行しているそれぞれが車窓をキョロキョロして気になる場所を見つけ
久野さんとよくやっていた手仕事調査的な事もしつつ福岡へ向かいました。

土地、風土、人、暮らし、その地の姿を見て聞いて伝えることも大切、と実感した旅となりました。

 

(茅葺き屋根を葺く職人さんと偶然の出会い)


窯元の皆様、貴重なお時間と機会をありがとうございました。

 

今週の大雨で日本各地での被害がありませんように、
そして日々の暮らしの中から生まれた各地の手仕事が

自然災害で奪われませんように、と心から願うばかりです。

| 川崎正子 | 報告 | 23:38 | - | - |
旅先で出会う手仕事
先日小鹿田と小石原へ同行させていただき、
行く先々でその土地で作られている手仕事が使われているのを目にしました。

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何度も目にし、自分でも普段使っている焼き物や硝子なのに、登場する度に、
わ!いいなと心が小躍りして嬉しくなってしまいます。
そして安心します。

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手仕事はいつも気持ちを新鮮にしてくれます。
ものの与える力は自分が思う以上に人に、暮らしに影響していると感じます。
そしてそれは作っている人の力でもあると感じます。
| 門田真記子 | 報告 | 08:49 | - | - |
三斗五升甕の飛び鉋
「浩二さんが飛び鉋を見せてくださるって!」
採土場からもどった私たちに、うれしい声がかかりました。
しかも何と三斗五升甕、小鹿田ならではの大物です。

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「いっていい?」
といつものチャーミングな笑顔でたずね、
「停まらないからね、ひきはじめたら」
と真顔になるやいなや、
「トーン」、「トーン」と規則的に轆轤を蹴る。
「ウィ〜ン」と鉋をあてる音。
三斗五升甕の飛び鉋がはじまりました。
私たちは息をのんで甕に出現する紋様を見つめています。

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飛び鉋を引いている間、浩二さんの吸う息、吐く息はよく見えません。
視線は一定の距離を保ったまま動かず、ひきはじめたときの表情で、飛び鉋が終わりました。

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「どれくらいのことができたら、こんな大物に挑戦できるようになるんですか?」
と聞くと、
「いや、やりはじめたときから挑戦したほうがいい。僕はこういうことに挑戦するのは若ければ若いほどいいと思っているんです。生活が自分の肩にかかってこないうちに挑戦したほうがいい。昼間仕事をして夜に仕事が終わってから自分の時間のなかで挑戦するのではなく、昼間、人目があるときに挑戦する。失敗して人前で恥をかいたとしても、その緊張感のなかで挑戦することが大事だと思う」と。
小鹿田らしい率直な姿と存在感を見せていただきました。
窯元の皆さま、ありがとうございました。
| 後藤薫 | 報告 | 08:47 | - | - |
小鹿田訪問・採土場

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小鹿田皿山に到着した私たちを、坂本浩二さんがまず連れて行ってくださったのは、採土場でした。
昨年の豪雨災害の被害状況として崩落が伝えられたところです。
 
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「もっと計画的に掘っていったらよかったのに、掘りやすいところから掘っていったから、壁が垂直になってしまったんよね〜」と、ユーモアを交えて話してくださいましたが、どれほど怖い思いをされたことかと思います。
採土場から掘り出した土もすぐには分配はできず、どこの窯元にも均質な土が分配できるように、混ぜ合わせなければならないそうです。
「この採土場は全部の窯元が使っていっても、計算上80年は使える。しかし、土がなくなる前に次の採土場を用意しとかんといかんし、今後は、どこをどう掘ってきたかということをマップにして記録に残していこうと思うとる」
 
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浩二さんの前向きな話に耳を傾けていると、
・・・ギィ〜、ゴットーン・・・
小鹿田のしっかりとした脈動を確信させるような、
唐臼の音が聞こえてきました。

| 後藤薫 | 報告 | 09:18 | - | - |
唐臼の復旧

去年の九州北部豪雨から1年経とうとしている小鹿田と小石原を訪れました。今回は手仕事フォーラムで約10年と長く活動しているメンバーと一緒に、小鹿田や小石原への特別な思いを持って向かいました。
小鹿田では早速、坂本浩二さんに災害時の様子とその時に川に流れてしまった唐臼の話を伺いながら、新たな設置を着手した唐臼を見せていただきました。

 

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唐臼がある小屋へ下りていく階段もコンクリートの堤防で囲われています。唐臼を覆う小屋は風や雪で崩れないよう見事に木が組まれてあり、屋根は劣化が早まらないよう重ね合わせのない1枚のトタンで片流れ屋根になっていました。

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新しい唐臼の木は切ってからまだ半年しか経っておらず、あと3ヶ月は乾燥させないと水が当たるもう片方とのバランスが取れず、
次の段階に進めないそうです。

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土に当たる杭の部分にはめる鉄の輪っかも劣化の早いところを考慮して工夫されています。

 

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土が置かれるくぼみ(臼となる部分)も手でくぼませることにより、自然と満遍なく混ざり、型で作った臼のように途中でかき混ぜる必要がないのだそうです。

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過去に経験のないことなので、すべて出来上がってやってみないとどうなるかわからないと浩二さんは話されていました。
一連の工事を手がける大工さんと一緒に、先人の知恵を参考に試行錯誤しながら、未来を見て、着実に進めている浩二さんのお姿にとても清々しい気持ちになりました。

| 山崎綾 | 報告 | 08:40 | - | - |
小鹿田・小石原への訪問

先週末、九州豪雨災害から間もなく一年が経つ小鹿田・小石原を訪問しました。

災害時の様子や、現在の状況、復興の様子を伺うため、手仕事フォーラムでも何度も小鹿田・小石原を訪れている中堅メンバーが集いました。

空港から小鹿田への道で、豪雨で土砂が流れ露出したままの山肌や、流木が横たわったままの川が目に入り、胸が詰まる思いでした。

伺ったお話や、それぞれが感じたこと・学んだことは、追って報告させていただきます。

一番強く感じたことは、復興への道のりは遠くとも、小鹿田・小石原の皆さんが一歩ずつ確実に前に進んでいるということでした。

空港に向かって、杷木バスターミナルへ向かう道でも、川べりに積まれた土嚢が延々と続く姿が目に入りましたが、皆さんから感じた前向きな思いと、変わらぬ唐臼の音を思い出し、今度は胸を熱くしながら帰路に就きました。

小鹿田・小石原の皆さん、お忙しいところ、お時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

以前と変わらず、私たちを迎えてくれた唐臼の姿と音。

 

| 瀬部和美 | 報告 | 06:00 | - | - |
伊賀の陶工
伊賀スタディツアーの報告です。

6/3に行平鍋でおなじみの「カネダイ陶器」におじゃましました。
夏を思わせつ空の下、坂道を登ると美しい水田を見下ろすように工房があり、
大矢正人さんとご家族が迎えてくださいました。

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工房の周りの青々とした山には、かつては木目の詰まった赤松があり、登り窯の上質な燃料でしたが、虫害で今はほとんどなくなったそうです。
登り窯を焚かなくなった大きな要因の1つだと、大矢さんが話します。
お話の後、さっそくロクロをひいて見せてくださるということで大矢さんがロクロ前に座ります・・・
ロクロが回り、土を手にした途端うつわの姿を見せはじめ、みるみる広がって形が土鍋の蓋なりました。

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あっという間です。
なんの躊躇もなく手が自然に働いて形ができあがります。同じ形をいくつも素早くつくり出す技。
熟達した技とは、こういうものなのだと感心します。ふと、「機械のような」という形容詞を思い出しました。
なんという言葉でしょう。人は機械ではありませんからね。
しかしこれは褒め言葉でした。“機械のように正確で早い”仕事に敬意を込めて使われました。
この言い方は、単純に規則的同一性とスピードのもたらす生産性に価値があった時代を反映していますが、今は聞かなくなりました。
大矢さんのような名工は、“同じ形をいくつも素早くつくり出す”ことができます。それが無駄のない美しいうつわをつくります。

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工房に積み上げられた型は、手仕事の延長として“機械のような”仕事を支えています。
しかし、人の手から生まれるうつわは、1つとして同じ形をしていません。
そこに人の心に響く“なにか”がある。だから手仕事は美しい・・・​型や機械が生み出すものに囲まれてきた人々が、「機械のような」という形容詞を使わなくなりました。
今後、機械が「人のような」と形容される時代がくる・・・のかな?

穏やかな言葉でご自身の仕事を解説しながらも、正確に、スピーディーに、当たり前にろくろを引く大矢さんの姿を前に、そんなことを考えていました。

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大矢さん、ありがとうございます。



 
| 大橋正芳 | 報告 | 23:03 | - | - |
私の藍染め体験

先日、参加させていただいた伊賀スタディツアーでの藍染め体験。

既に、武藤さん・山田さんから素敵な報告がされています。

私からも、体験を通じて考えたことを少し書かせていただきます。

 

さて参加前。

「藍染め体験可能、染めたいものがある人は持ち込みもできる」という募集文書を読んでも、「う〜ん、藍色にしたい白いものあるかなぁ?」と考えるも、その時は特に染めたいものが思い浮かびませんでしたが、「何でも経験してみよう」が信条の私、紺喜染織さんで用意してくださるハンカチで体験させていただくことにしました。

始める前に、割りばしと輪ゴムを使って、染まらない部分を作り、模様にする準備をします。

本を見せていただくと、「染まらない部分を作ること」で、こんなにたくさんの模様ができるのかと驚きます。

 

見せていただいた模様の作り方の本

 

いよいよ染めに入ります。まず、藍の入った甕の前に座って、人生で初めて感じたのが藍染めの匂いです。

「タデ藍を発酵させて作る」と知識だけはあったものの、「本当に植物を発酵させてこの色を作るのだ!」と実感・感心しました。

そして、自分の思う藍の濃さに染めるために、いくつの甕で染めるかを決めます。

私は、思い切り濃い藍色のものを作りたかったので、5つの甕で染めさせていただくことにしました。

ハンカチの端に糸で和を作り、それを手首に引っ掛けて、藍甕の中に落っことさないようにします。(過去になんと子どもさんが落ちてしまって大変だったことがあるとか!)

浸して、20数えて、引き上げてハンカチをおにぎりのようにギュッと絞って、広げて空気に当てる、の作業を繰り返し、次々と色の濃い藍甕へ移ります。

最後、5つ目の甕で完成です。

 

染めている途中

 

その後、井戸水を入れたたらいですすぎます。

その時に、もっと色が落ちるのかと思っていましたが、「水分として布が蓄えている藍色の水が流れていく」という感じで、布はしっかりと染まっていて、薄くはならないのです。

「えー!染めるって不思議!面白い!」と叫んでしまいました。

ハンカチを干していると、メンバーの皆さんの染めたシャツやジャケット、Tシャツが出来上がってきます。

模様があるものもないものも、グラデーションになっているものも、一色のものも、どれも素敵です。

 

私の染めたハンカチ

 

そうして参加後。

いま思えば、白いことがもう若すぎて最近あまり着なくなったレースのスカートやら、ブラウスやら、食卓のテーブルクロスやら、「染めたかったもの」が大量に思い浮かびます。

白いTシャツを買って行って、自分好みの藍色に染めるのも素敵です。

あぁ!なぜ現代には紺屋さんはあちこちにないのか!残念でなりません。

教訓。藍染め体験をする時には、染めたいものをしっかりと考えましょう。

藍色って本当に素敵な色ですから!

植西さん、素敵な体験をありがとうございました!

また、ぜひお伺いさせてください。

| 瀬部和美 | 報告 | 07:42 | - | - |
種子鋏

私にとって種子島といえば…

興味はあるものの果たしてこの先行く機会があるだろうかと考えれば

とても可能性が低い場所の一つです(すみません…)。

 

しかしそれでは話が続かないので、一本の鋏が種子島へのロマンを

かき立ててくれるということにします。

以下の写真は鎌倉もやい工藝の普段使いの種子鋏です。

 

 

 

 

種子鋏は久野恵一さんの『民藝の教科書』5手仕事いろいろで紹介されています。

牧瀬義文氏と梅木さんが並んで写真に写っています。

 

ところで先日、図書館の雑誌架をブラウジングしていたところ『月間文化財』の

4月号が目につき、なにげなく目次を読むと、「西之表の種子鋏製作技術」「論田・

熊無の藤箕製作技術の現状と今後に向けて」「鴻巣の赤物施策技術」などなど、

なかなか面白そうです。

 

それで、今回は種子鋏について書こうと思い立ったというわけです。

ショックだったのは、唯一の完全手打ち種子鋏技術保持者の牧瀬義文氏が、

平成28年に急逝していたこと。

そのうえ、代わって梅木さんの技術指導にあたっていた実弟で幼少時から兄弟して

父親から鍛冶技術を伝授されていた牧瀬博文氏も平成29年に急逝していたことです。

 

梅木さんが技術指導を受けたのは実質5年だったそうですが、

梅木種子鋏製作所を立ち上げて日々研鑽しておられるそうです。

『民藝の教科書』に登場している作り手の中には、このように既にお亡くなりになったり

引退して後継者もいない仕事もありますが、種子鋏はかろうじてつながったようです。

 

いま再び『民藝の教科書』を読み直すと、この仕事はどうなったのだろうと

思う仕事もあります。

| 中村裕史 | 報告 | 09:02 | - | - |
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