手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
蟻川工房のホームスパン展

銀座で、蟻川工房のホームスパン展がはじまりました。

2年に1回の恒例となっている展示会です。

主宰の伊藤聖子さんがつくられたホームスパンがずらりと。

ジャケット1着分の4mの布を織るのに1ヶ月かかるそうで、

それが20枚近く並んでいます。

今回は殆どが新たに織ったものだそうで、まさに伊藤さんの

2年間の仕事が一同に集まっていると言えます。

 

仕立てられたものが見本として置かれていて、試着することができます。

色、手触り、風合い、身につけた時の軽さなど、

やはり実物を見なければ感じられないことがたくさんあります。

 

 

会期中は伊藤さんが在廊されます。

是非足を運び、実物を感じてください。

 

「蟻川工房のホームスパン展」

 

会期:1月8日(火)〜1月14日(月)

時間:11:00~19:00(最終日17時まで)

会場:ギャラリーおかりや

http://www.g-okariya.co.jp/index.html

| 久野民樹 | 報告 | 13:43 | - | - |
苗代川沈壽官窯、龍門司焼を訪ねて

2016年の有田フォーラムで、沈壽官窯の平嶺さんが試作中の茶碗を披露された。故久野恵一さんと沈壽官窯の当主が意気投合し始まったプロジェクトで、その時は、まだまだ取り掛かったばかりだというお話だったが、キレのいいスッキリした形が印象に残り、沈壽官窯とはどんな窯かと思う。

 

すでにレポートがあるように15代沈壽官さんは、いかにも薩摩隼人ふうの大柄で、引き締まった表情の中、親しみやすい口調で要領よく言葉を選んでくださるので、お話にすぐ引き込まれた。

 

沈壽官家のある苗代川、美山地区は、川があるというわけではなく「苗代の頃に雨が降ると川のようだ」ということらしい。なぜこの水のないところに窯を築いたのか。

 

14代沈壽官をモデルにした司馬遼太の小説「故郷忘じがたく」では、戦乱の中、船で逃れた朝鮮の人々が串木野の浜、島平というところに漂着し過ごしていたところ、藩の「城下に居住せよ。谷敷もあたえ、保護も加える」との命にもかかわらず故郷の見えるこの地域に住むことを願い出たと描かれている。

しかし、15代のお話によると、文禄の役(1592年)の時にも、陶工たちを連れてきているようだということだった。

 

当時の日本では、窯の部屋の斜面が傾いている単室傾斜窯という窯があり、窯づめの道具で作品が床にくっつかないように敷く焼台に、ハマという馬蹄形のものが使われていた。

しかし、窯跡の発掘で、朝鮮ですでに使われていたトチンという連房式登窯で使う形の窯づめ道具がみつかっていることから、文禄の役でも来ていたとみられるとのこと。

 

石積みの上に生垣が続くまっすぐな通りに沈壽官家の武家門がある。

薩摩は、陶工たちだけでなく「高麗筋目ノ者」を士族として遇し、朝鮮名を名のり、朝鮮の風俗が維持された。有田や毛利公の萩など他地域で、日本人化を強いられたことと大きく異なる。琉球を属国として、鎖国の中、海外と交易をしていた薩摩は、朝鮮通詞としての密貿易の用にも期待したようだ。

 

悲惨な戦ではあったが、陶工たちの技術だけでなく、樟脳製造(クスノキも多い!)、養蜂、ヌビと言われる裁縫の技術など多くの高度な技術の移入があったという。

 

薩摩焼の歴史には、幾つもの作陶の流れがあり、苗代川系の沈壽官窯は、藩のための「白もん」と民用の「黒もん」、江戸中期には、流通の発展により天草陶石で磁器も焼かれるようになったが、色絵は、禁止されていた。竪野系の御用窯で、「白もん」のみ、龍門司焼は、「黒もん」などなど。現在は、苗代川焼と龍門司焼のみ焼かれている。

 

幕末、12代沈壽官は、錦手を再興、薩英戦争で磯御庭窯が廃絶し、「白もん」を民需用に焼けるようになり、苗代川が錦手や「白もん」の重要な役割を担う。パリ万博(1867)に幕府とは、別に「薩摩琉球国」として参加、錦手大花瓶が人気を博し、その後の輸出につながる。

 

講義をしてくださった部屋の棚

 

かつて採れた指宿の土は、なく、現在は、成分がすべて分析さて、近かいもの配合した土を使っているとのこと。

時代に翻弄され400年、その時その時の「いま」を見ながら技術を伝承し生産続けることがいかに困難なことか、想像を絶する。

それが、この高級陶器のブランドがありながら、手仕事フォーラムの仕事にも並々ならぬ関心をしめしてくださることに繋がっているのだろう。

 

あらゆることに精通している久野恵一さんと会えたことは、「事件」だったとおっしゃった。「良質の白土による清潔で強い仕事つくらないか」という久野さんの言葉がこのプロジェクトを進めている。

 

 

 

>>>雨の龍門司焼

 

その後、伺った龍門司焼では、雨の中、小規模ながら賑やかな陶器祭りの最中。

川原史郎さんが土をスイヒして丁寧に作る工程、釉薬を作る工程を説明してくださった。薪は、近隣から伐採したスダジイが2年分あるとのこと。

 

 

高い技術で作られた「黒もん」の鮫肌や蛇蝎(だかつ)のものなどは、インパクトがありすぎ。私の暮らしで活かされるかなとしりごみ。でも、やはり、一つぐらい買ってみれば良かったと1月4日の鹿島さんの投稿を見て後悔。

 

登り窯の脇まで、たくさんの焼き物が並ぶ中、時間もなくてあせって求めたマグカップは気に入っているが、オマケにくださった小さな黒い茶碗がいやに存在感があり、手に持つとなじむし、大きさも心地よく、一貫して土も釉薬も自らつくり続けてきた強さを感じた。

| 石井揚子 | 報告 | 22:47 | - | - |
朝鮮陶工に思いを馳せて

一泊二日の鹿児島スタディーツアーの中で、 沈壽官窯第15代の話について、終始聞き入ってしまい、 とても楽しい時間でした。

 

豊臣秀臣の時代、朝鮮では沙器匠(お椀皿など)と甕匠( キムチ甕など)といった2つの身分の違う陶工達は、 決して交わうことなく存在していましたが、 朝鮮から連行してきた薩摩藩では、 区別されず生活をしていました。

また、当時、他の藩では朝鮮出兵で連行してきた陶工は皆、 日本名にするのが普通でしたが、薩摩藩では性を変えることなく、 言葉を忘れさせませんでした。これは、 薩摩藩が外交を優位進めるためであり、 薩摩藩の目論見の高さを感じました。このような藩体制の下で、 朝鮮陶工により誕生した薩摩焼、そして、 そこから派生し脈々と受け継がれてていった鹿児島の焼き物文化に とても感銘を受けました。

 

今回、購入した焼き物

▽ 苗代川焼沈壽官窯  (黒薩摩の平皿)

 

 

▽龍門寺焼(鮫肌手の湯飲み)

 

 

鹿島裕太

| 管理人 | 報告 | 22:07 | - | - |
こんな喫茶店があったなら
鹿児島スタディツアー2日目に訪れた可否館。
他の方のブログでも拝見し、期待感をつのらせていた訪問先の一つです。

センス良く配置された家具や器。このピッチャーに久野恵一さんは惚れ込んでおられたそうです。
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やわらかな間接照明に照らされた色とりどりの吹きガラスは神聖な雰囲気です。
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窓ガラスから吊るされた染織に太陽の光がこぼれています。
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アドベントに臨むテーブルコーディネート。
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4人掛けのテーブルにてホットコーヒーを注文。
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小代焼き、やちむん、小鹿田焼… 店主の粋な計らいが。
様々な産地のティーカップが交わるよう差し出してくれました。楽しいですね。
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何時間も滞在したいと思う素敵な可否館でした。
こんな喫茶店が近所にあったなら…と皆で口を揃えていました。

藤岡 葵
| 管理人 | 報告 | 22:12 | - | - |
種子島焼との出会い

鹿児島ツアー1日目、最初に長島美術館を訪れた。
桜島を間近で眺めることが出来るすてきな場所。
でーっかいっ!晴れ晴れ!


美術館地下一階展示室にて、白薩摩と黒薩摩を鑑賞した。
黒薩摩は庶民が使うものであまり装飾がなされていない印象だったが、鮫肌手やべっ甲手などの釉薬技法が施されているものもあることが分かった。
そんな中、種子島焼を見た。非常にゴツゴツしていて黒く、いかにも重そうだ。釉薬もかかっていない焼締陶器である。ほとんど壺である。または、甕である。黒光りではない。ガサガサと音がしそうな肌だ。
この、着飾らない感じは何だ?
素材むき出しから感じるこの強さは何だ?
私は、この、種子島焼から目が離せなくなってしまった。
種子島焼がどのように使われていたのか勝手に考え始めた。
種子島焼は鉄分が多く、鉄錆色をおびている。薩摩で甕というと、焼酎だと思ってしまうが、酒造りに鉄分は良くないらしい。食品関連の使われ方では無いのでは…?
外で雨水や肥料を溜めて置いたのではないか。または、長い竹や釣竿などの道具をさしていたのでは?

勝手にいろいろアレコレ考えるのは楽しいしい。

旅の最終日、つるまるキッチンが入る黎明館の中で田中一村のポスターを見つけた。田中一村の絵の中にある深い緑色を見たとき、ふと頭に種子島焼が浮かんだ。奄美大島とは違うが、きっと、種子島焼も強く濃い緑の中で黒々とゴツゴツしながら力を発揮していたことだろう!美術館の棚の中ではなく、自然の中にある種子島焼にも会いたい。
焼物とは、それだけで終わるのではなく、周りの物や環境との調和で成り立つのかな、と感じることのできた旅だった。

皆さまとご一緒出来てとても楽しかったです。旅先で快く迎えてくださった皆さま、運営してくださった皆さま、ツアー参加者の皆さま、ありがとうございました。

 

鹿島可那子

| 管理人 | 報告 | 22:03 | - | - |
見果てぬ夢

旅に生きた故・久野恵一さんの最後の行き先は、鹿児島でした。「鹿児島苗代川沈壽官窯」と題した2015年3月24日のブログには、冒頭に「今回の思い切った旅」という表現があります。ご本人も最後になるかもしれないことを覚悟していた、というより、いま行かなければ死んでも死にきれないという執念があったと思います。病をおしてまでこの窯を訪れたのは、一緒にプロジェクトを進めていたつくり手の平嶺健二郎さんに、ハンドル(カップやピッチャーの持ち手)付けの技術を伝えるためでした。

 

志半ばで倒れた久野さんにとって、沈壽官窯と進めていたプロジェクトを見届けられなかったことは、何にも増して心残りだったと思います。今回のスタディーツアーは年末押し迫ってからのそれなりに思い切った旅でしたが、どうしても沈壽官窯をお訪ねしたいと思いました。ともかく、平嶺さんに経過を伝えてもらい、ご当主の考えもうかがった上で、ちょっとでも成果が見通せたらと願ったからです(本当に充実した2日間でした。調整してくださった久野民樹さん、ありがとうございました)。

 

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「ものことノート」2015年夏号

 

雑誌「暮しの手帖」で7年にわたって続いた連載の最終回も、沈壽官窯のプロジェクトでした。結果的に亡くなってからの掲載になったものです。

 

この中で久野さんは、民藝や手仕事に再び注目が集まったことを喜びつつ、玉石混淆の仕事がなんでもかんでも持てはやされることに危機感を抱いていること、打開のためには実物を提示してものづくりの歴史や背景を理解してもらうことだと考え、「日本の生活雑器の原点である薩摩焼のルーツ、苗代川焼」の復興プロジェクトにとりかかったという経緯を紹介しています。

 

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沈壽官窯の収蔵庫のチラシ

 

もともとこの窯で焼かれてきた白薩摩の上手(じょうて)ものは、庶民の手が出るようなものではありません。最初に久野さんからこのプロジェクトのことを聞いた時にも、手仕事フォーラムとは一番遠い存在なのではないかと不思議に思いました。

 

15代沈壽官さんは今回の講話で、朝鮮半島の人たちが伝えたものづくりの歴史に多くの時間を割かれました。さらに、自らの窯を「灯台」と自任し、現代の生活にあうものづくりを試みている、とも。一見、相いれないように見える久野さんと15代さんが意気投合した姿が浮かぶようでした。

 

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資料も示しながら、試作品について説明する平嶺さん(濃いオレンジのセーター)。

 

すでに19日のブログで平嶺さんご自身が報告されたように、試作品の一部について解説してくださいました。どれも美しいものでしたが、使い手として、つなぎ手(売り手)として、どのようなラインナップがよさそうかを話し合いました。価格やブランドなどこれから詰めなければならないことはありますが、来年には販売に向けた道筋ができるのではないかと期待しています。

| 大部優美 | 報告 | 09:37 | - | - |
薩摩焼の学習

今回の鹿児島スタディーツアーでは、薩摩焼について学ぶことが大きな目的でした。

まず、久野民樹さんから、雑誌『民藝』の「特集 民藝と薩摩焼」を見せていただき、薩摩焼の誕生から現在の姿までの大まかな流れを読み込みます。

次に、長島美術館で、映像による薩摩焼の歴史を勉強、映像で見るとよく頭に入ります。

その後に、黒薩摩と白薩摩の展示室に入って見学します。

古いものから最近のものまで、さまざまな技法やかたちのものを見ることができました。

そして、沈壽官窯さんへ。

登り窯や、ろくろのお仕事、絵付けのお仕事、彫りのお仕事など、実際に薩摩焼が生まれていく様子を、とても近くで見せていただきました。

こちらでは、司馬遼太郎さんが先代をモデルにして書かれた小説『故郷忘れじがたく候』の記念碑や、薩摩焼の人形が祀られている神社、沈壽官窯さんで働く方やご近所の方がのんびり過ごされる六角堂、立礼のお茶席が開かれるお部屋なども見せていただくことができました。

案内してくださった児玉さんが、とてもお話がお上手な方で、まるでテレビを見ているかのような本当に楽しい時間でした。

翌日は、十五代ご当主から、薩摩焼の成り立ちから、現在の沈壽官窯さんのお仕事を伺います。

昨日学習したことの復習に加えて、沈壽官さんしか知らない秘話やエピソードもうかがうことができました。

他では聞けない波乱万丈のお話であることに加え、ご当主もまたお話がお上手で、終わった時には、一同「ほうっ」とため息の後に拍手喝采でした。

沈壽官窯さんを失礼し、昼食には平嶺さんの探してくださった黎明館の中にある龍門司焼のうつわでお食事ができるレストランへ。

手に取って、使ってみたうえで、龍門司焼へ。

ちょうど陶器まつりが開催されていたため、たくさんのうつわが販売されており、様々な形や技法のものを見ることができました。

またこちらでは、川原史郎さんに、土の作り方から登り窯の前でできあがったうつわを見せていただくまでの「窯場ツアー」を行っていただき、窯元のお仕事の一連の流れを教えていただきました。

今回は、このような流れで薩摩焼を学習・堪能することができました。

薩摩焼に初めて触れる人にもわかりやすい、楽しく学べたスタディーツアーでした。

お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。

| 瀬部和美 | 報告 | 20:57 | - | - |
「鹿児島スタディツアー@苗代川系の沈壽官窯を訪ねて

2018121516日の2日間、鹿児島で薩摩焼を学ぶスタディツアーが行われました。

今回は、薩摩焼の苗代川系、龍門寺系、そして、小山田の竹細工を視察しました。

その中で今回は、苗代川系の沈壽官窯の訪問について述べたいと思います。

沈壽官窯では、主に1日目に沈壽官窯全体の見学、2日目に第15代沈壽官氏のお話を拝聴しました。

 

 

沈壽官窯見学

沈壽官窯は、境内に、工房、登り窯、美術館、販売店&ギャラリーがあります。特に製作する工房は、よく見かける窯元の工房とは違い、非常に整備された工房でした。

工房では、各工程の専門製作者がおり、製作しています。ちなみに、工程別の製作は、薩摩藩時代の由来で、製作者が他藩へ逃げ出しても、薩摩焼製作の技術を盗まれないようにするためだそうです。

その他にも、韓国からもってきた韓国式高台や、14代沈壽官氏と懇意だった司馬遼太郎の故郷忘じがたく候の文学碑、神社等がありました。

 

↑の登り窯。神聖な雰囲気があります。

 

 

↑このように外から製作を見やすいようにもなっています。(製作者さんの方は外からの視線がすこし気になる気もします。💦)

 

↑韓国から持ってきたらしい高台。夏には付近の人がここに腰掛け晩酌をするらしいです。

 

↑手前は韓国式の神社?奥が日本式の神社。

 

↑陶片のかけら達。

 

↑沈壽官窯の湯呑みでお茶も頂きました。器の色で、お茶の見え方も変わっています。

 

〇第15代沈壽官氏のお話

2日目の午前中に、第15代沈壽官氏のお話を伺いました。お話では、主に、文禄・慶長の役の朝鮮陶工技術伝来による薩摩焼の始まりから時系列的にお話ししていただきました。

 

薩摩焼の始まりは、文禄・慶長の役です。慶長の役により、島津家は、朝鮮陶工を日本に連れてき、朝鮮陶工に対して、兵役農業の義務を負わせず、士分を与え丁重にもてなして、鹿児島で陶工作業に専念させました。

 

李氏朝鮮では、白磁器が良く作られていました。

すこし余談ですが、朝鮮では、高麗時代には、青い焼き物が盛んに作られていました。しかし、時代が高麗から李氏朝鮮に変わるにあたって、青い焼き物は否定され、白磁が盛んに製作されるようになりました。理由は、前王朝等の過去に対する否定と、新しい王朝・時代への創造です(所謂、易姓革命理論が強く影響している?)。よって、朝鮮では、王朝が変わると焼き物の色が変わるそうです。

ちなみに、日本は王朝の変化がないため、王朝の変化ではなく、地域ごと(窯元毎)に焼き物が変わるそうです。

 

そんな白磁をよく製作していた陶工達ですが、白磁を製作するためには白土が必要です。

鹿児島の土は、桜島の火山灰による鉄分を含んだ黒い土が多いです。しかし、鹿児島にも白い磁器に使用する白土があります。鹿児島の白土は、火山の熱水によって、花崗岩が白い粘土鉱物に変形し、(1次粘土)、雨や風によって風化して、白磁製作に使用できる白い粘土(2次粘土)になります。

そして、陶工達が詮索した結果、白土が指宿で発見されました。これにより白い焼き物、所謂、白薩摩を完成させ、殿様に献上しました。喜んだ殿様はその功績をたたえ、薩摩焼と名付けました。

 

また、島津家は朝鮮から来た陶工達に対して、姓名や習慣・文化の維持もさせました。

文禄・慶長の役によって、日本に来た陶工は薩摩以外には萩や伊万里等ありますが、薩摩だけは陶工達を日本人化させずに、姓名改変禁止や朝鮮の文化・習慣を維持させました。

その理由は、薩摩藩の貿易のためです。陶工達に焼き物の製作をさせつつ、もう一方で、朝鮮との貿易を行いました。(もちろん徳川幕府に内緒の密貿易です。)貿易では、主に朝鮮ニンジンを昆布等で交換していました(昆布は富山の薬売り等から調達)。江戸時代に鹿児島に訪れた朝鮮人は主に5万人だそうです。そして、貿易を通じて、薩摩藩はアジア圏の情報にも精通していくようになります。

 

アジアの情報に精通した薩摩藩は、幕末、英清のアヘン戦争とその結果の情報を素早くキャッチします。そこで、薩摩藩は、自藩の殖産興業化を目指し、集成館事業を行います。そこでも陶工の技術が活用されます。

鉄を溶かすためには、1700℃程必要であり、それに耐えうるレンガ等の物資が必要です。そこで、陶工達は、薩摩の白土に肥前の陶石を混ぜて、耐火温度をあげたレンガを製作し、殖産興業化に貢献しました。

また、徳川幕府が倒れ、明治政府になり、藩営から民営になった沈壽官窯は、その後も、ターゲットを欧米にて、白薩摩の美術品を作成し、多くの万博に出品して薩摩焼を世界に知らしめました。(その頃に海外に輸出された白薩摩の美術品が、1日目に訪問した鹿児島の長島美術館に多く展示されています。)

 

 

また最後に、伝統や薩摩焼、これからの沈壽官窯についてお話してくれました。

 

伝統は地層なようなものであり、過去の試みが層となって重なり続けたもの。

その時の、今という時に、常に革新的なことを行い、受け入れられたものが定着して、伝統となる。そして、伝統が存在することで、現代は今の立ち位置を確認できる。

沈壽官窯は伝統や昔のものも残しつつ、今に合ったものも製作する。伝統と現代をつなぐものである。

言うならば、我が家(沈壽官窯)は灯台である。灯台は動かないが、光を照らす。照らす光は今という海をいきかう船にとって、指針を示す重要な光となる。

 

また、薩摩焼は黒薩摩と白薩摩の2面性がある。例えるならば、船の対になる船頭である。時代が白薩摩を求めているならば、白薩摩を先頭に進み、時代が黒薩摩を求めているならば、黒薩摩を先頭に進む。その時代に求めている風に向かって進む船である。

 

↑お話しいただいた15代沈壽官氏

 

堤 洋

 

| 管理人 | 報告 | 10:27 | - | - |
鹿児島スタディツアー1日目、長島美術館

1215日、快晴。

鹿児島スタディーツアーの1日目は鹿児島市武にある長島美術館からスタートしました。

この美術館の地下には古い薩摩焼のコレクションがあり、上手ものの「白薩摩」、

日用雑器の「黒薩摩」が、それぞれの展示室で窯ごとに分けて展示されています。

またビデオでは、李朝陶磁を源とする薩摩焼の歴史が詳しく解説されています。

今回の旅の目的が、薩摩焼の歴史背景とものづくりのあり方を感じ取ることであるならば、これほどスタートにふさわしい場所はないように思えます。

 

黒薩摩の部屋

時間も限られているので、私たちはまず一番見たい黒薩摩の第6展示室へ。

そこには一般庶民が生活雑器として使った黒褐色の「黒もん」

がところ狭しと居並んでいて、すごいパワーで迫ってきます。私が好きな甘酒半胴も数多くあり、形の違い、黒褐色の深さの違い、貼付文の種類なども比較しながら見ることができます。

 

白薩摩の部屋

第5展示室は献上品などに使われた上手ものといわれる白薩摩の部屋。

金襴手や錦手と呼ばれるものについては、「すごいな」とは思うもののあまり親近感を感じることができず、どうしても足早になってしまいます。

しかし、そういう自分を制御しつつ、心の垂心線を真っ直ぐに下ろして一つ一つを見ていくと、鶴首瓶や舟徳利などのシンプルな造形の美しさは格別で、「やっぱり良いものは良い」と説得されていることに気づきます。

 

 

この美術館からは、どっしりとした桜島が真正面。その姿に感激して夢中になってシャッターを切っていましたが、「文禄・慶長の役」の頃、朝鮮から連れて来られた人々の目に、異国の桜島はどのように映ったことでしょう。

| 後藤薫 | 報告 | 10:01 | - | - |
鹿児島スタディーツアー 〈懇親会にて〉

スタディーツアー1日目を終え、夜は沈壽官窯のある日置市の居酒屋で懇親会となりました。

ツアーのスケジュールが押してしまい当初の予定を消化できず、
懇親会の場で、予てより進めてきた沈壽官窯と手仕事フォーラムによるコラボの試作品をみていただくことになりました。

結果的にこれが功を奏し、十分な時間とメンバーの率直な意見によるディスカッションが行われました。
そして瀬部さんリード、大部さん・中村さんらのフォローにより、プロジェクトは大きく前へ進むことになりそうです。

詳細についてここでは差し控えますが、自分としては兆しがみえて、今回一番の収穫となりました。

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年の瀬の忙しい時期に遠い鹿児島まで来て下さった参加者の皆様、本当にありがとうございました。

平嶺 健二郎

| 管理人 | 報告 | 19:41 | - | - |
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