手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
北九州にて竹林に覆われた山へ入る

今年も北九州若松へ

まずは、みんなで“ふじや”で腹ごしらえ。讃岐うどんのような、食べていると

アゴが疲れてくるほどの弾力はなく、かといって柔らかすぎない。

この絶妙な柔らか加減。食べていると北九州に来たという実感が湧いてきます。

今回は、肉ごぼううどんと、おでんを三本。これで千円払ってお釣りがくる。

 

 

 

続いて、当然のごとく“丸窓天ぷら”へ。何度食べても間違いない美味さです。

今回は使われているザルの購入先を聞きました。物産展で購入したのだそうです。

以前、仕方なしに通販で購入したところ、一部に針金が使われていたため、

やはり直接見て買わないと、ということになったのだとか。

「こういうものは九州だったら手に入るでしょ?」

「大都市に卸されているようだから、そうでもない。たまたま物産展で見つけて買った。

でも扱っていている店の名前を憶えているから次回はそこから直接買うつもり」

などと会話しました。

少なくとも10年は使えるそうですが、果たして10年後にも買えるかどうか?

 

 

最近では地産池消も一部で根付き始めているようですが、地元で作っていても

地元で手にりにくい物もまだまだあります。作り手も減り、生産量が減り続けて

いるカゴやザルなどの手仕事の品物は特にそうなのかもしれません。

もちろん、需要を考えれば、地元の限られたエリアでは商売が成り立たないのが実情

でしょうが、地産地消されると、それが生み出される背景や地元への興味関心が深まり

良いのですが。

 

さて、今回の北九州行きの目的は幾つかありましたが、一つは、とある竹林に入り、

一日半作業すること。登山用の靴に作業服。服装も覚悟も決めての作業です。

遠目にはこんもりと茂った緑豊かな竹林で美しく見えますが、ひとたび分け入れば、

その荒廃した有り様に絶句します。本当に息が詰まります。

まず気がつくのは、動物の気配が全く無いこと。繁茂した孟宗竹が太陽光を遮蔽し、

他の植物を死滅させ、餌となる実や若葉を茂らせる草木が無いからでしょう。

薄暗い静寂の中で、風にしなって竹と竹が擦れ合う音だけが鳴っています。

一人だったら居た堪れなくて、すぐに逃げ出すところです。そんな圧迫感があります。

 

 

 

 

竹の子を採るなどに竹林を活用するのであれば、傘を広げて歩ける程度に竹の密度を

管理する必要があるそうですが、それが、どれほどの人手と手間を要することか。

孟宗竹の根は、1年間に10メートル近くも伸びるといいます。

地元のばあさん連中は、竹の子を見つけると鎌でバシバシ切っていきます。

食べるためではなくて、竹林がこれ以上広がらないようにという、ささやかな抵抗。

 

もちろん、こんな感想は、孟宗竹からすれば人間の勝手な言い分でしょう。ここも、

かつては豊かな生態系があったのでしょうが、畑として人間が開墾した末に、その後、

久しく耕作放棄された、その結果なのでしょうから。

もちろん地域の人々にも責任などない。産業構造の変化や急激な人口減少など、

複合的な状況が重なったとしかいいようがないかもしれません。

 

私たちが1日半滞在している間、その地区で一人の子供にも会いませんでした。

若者は外に働き出てしまっている。

10年後どころか、5年後にはどうなるかわからない、そんな地域が日本中に

広がっています。

 

同行してくれた老婆が、竹に覆われた山や耕されなくなった田畑を眺めながら、

昔はこんなではなかった、上から下まで綺麗な田んぼだったんだよと、

やるせない様につぶやいていました。

 

[参考]

‖静通塢 著.  森林飽和 :.  NHK出版, 2012.7. 254p ; ISBN 978-4-14-091193-8

◆惻山事業百年写真集』編集委員会 編.  よみがえる国土 :.  日本治山治水協会 ;

日本林業調査会 (発売), 2012.8. 213p ; ISBN 978-4-88965-219-2

 

以前、里山のことを少し調べた際に、何冊か斜め読みしました。里山ブームで関連書籍

は多数出ています。上記,蓮現在の私たちが考えている理想的な里山イメージは

数百年の間、私たちの祖先が生きてきた里山とは似ても似つかないものだ、という観点

で書かれており興味深い内容です。

 [引用]

現在、「里山」がブームのような観がある。読者の中にも里山の好きな方がおられるだ

ろう。その方々の中には「かつての里山には持続可能で豊かな森が広がっていた。人々

はその恵みを受けて暮らしていた」と信じている方がいらっしゃるのではないだろうか。

(中略)里山には茅場(屋根を葺く材料のカヤを刈りとる場所)と呼ばれる草山があった

ことが知られている。そのような草山をふくめて、かつての里山は「はげ山」か、ほと

んどはげ山同様の痩せた森林―灌木がほとんどで、高木ではマツのみが目立つ――が一

般的であった。少なくとも江戸時代中期から昭和時代前期にかけて、は鬱蒼とした森を

ほとんど目にすることなく暮らしていたのである。(中略)白神山地に連なる里山でさえ

ほとんど樹木がなかったという光景を、江戸時代末期(一八六二年)に平尾魯仙は描き残

している。

言い換えれば、江戸時代に生まれた村人が見渡す山のほとんどは、現在の発展途上国で

広く見られるような荒れ果てた山か、劣化した森、そして草地であった。この事実を実

感として把握しない限り、日本の山地・森林が今きわめて豊かであることや、国土環境

が変貌し続けていることを正確に理解することはできないと思われる。(48頁)

 [引用]

エネルギーの分野において、薪炭から石炭・石油・天然ガスという化石燃料への転換は、

薪炭林としての里山利用を放棄することを意味した。また、化学合成された窒素・リン

酸・カリ肥料の使用は、堆肥や緑肥を採取するための民用林を不必要なものとした。つ

まり地下資源の利用が、二千年以上も続いた日本人と里山の、稲作農耕を介した基本的

で密接な結びつきを切断することになったのである。以来、里山の植生は人間の利用圧

を受けることもなく生態遷移の法則にしたがって変化し始めた。草地には樹木が侵入し、

森の樹木はかつてない勢いで成長し始めた。(135頁)

| 中村裕史 | 報告 | 06:15 | - | - |
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