手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
「鹿児島スタディツアー@苗代川系の沈壽官窯を訪ねて

2018121516日の2日間、鹿児島で薩摩焼を学ぶスタディツアーが行われました。

今回は、薩摩焼の苗代川系、龍門寺系、そして、小山田の竹細工を視察しました。

その中で今回は、苗代川系の沈壽官窯の訪問について述べたいと思います。

沈壽官窯では、主に1日目に沈壽官窯全体の見学、2日目に第15代沈壽官氏のお話を拝聴しました。

 

 

沈壽官窯見学

沈壽官窯は、境内に、工房、登り窯、美術館、販売店&ギャラリーがあります。特に製作する工房は、よく見かける窯元の工房とは違い、非常に整備された工房でした。

工房では、各工程の専門製作者がおり、製作しています。ちなみに、工程別の製作は、薩摩藩時代の由来で、製作者が他藩へ逃げ出しても、薩摩焼製作の技術を盗まれないようにするためだそうです。

その他にも、韓国からもってきた韓国式高台や、14代沈壽官氏と懇意だった司馬遼太郎の故郷忘じがたく候の文学碑、神社等がありました。

 

↑の登り窯。神聖な雰囲気があります。

 

 

↑このように外から製作を見やすいようにもなっています。(製作者さんの方は外からの視線がすこし気になる気もします。💦)

 

↑韓国から持ってきたらしい高台。夏には付近の人がここに腰掛け晩酌をするらしいです。

 

↑手前は韓国式の神社?奥が日本式の神社。

 

↑陶片のかけら達。

 

↑沈壽官窯の湯呑みでお茶も頂きました。器の色で、お茶の見え方も変わっています。

 

〇第15代沈壽官氏のお話

2日目の午前中に、第15代沈壽官氏のお話を伺いました。お話では、主に、文禄・慶長の役の朝鮮陶工技術伝来による薩摩焼の始まりから時系列的にお話ししていただきました。

 

薩摩焼の始まりは、文禄・慶長の役です。慶長の役により、島津家は、朝鮮陶工を日本に連れてき、朝鮮陶工に対して、兵役農業の義務を負わせず、士分を与え丁重にもてなして、鹿児島で陶工作業に専念させました。

 

李氏朝鮮では、白磁器が良く作られていました。

すこし余談ですが、朝鮮では、高麗時代には、青い焼き物が盛んに作られていました。しかし、時代が高麗から李氏朝鮮に変わるにあたって、青い焼き物は否定され、白磁が盛んに製作されるようになりました。理由は、前王朝等の過去に対する否定と、新しい王朝・時代への創造です(所謂、易姓革命理論が強く影響している?)。よって、朝鮮では、王朝が変わると焼き物の色が変わるそうです。

ちなみに、日本は王朝の変化がないため、王朝の変化ではなく、地域ごと(窯元毎)に焼き物が変わるそうです。

 

そんな白磁をよく製作していた陶工達ですが、白磁を製作するためには白土が必要です。

鹿児島の土は、桜島の火山灰による鉄分を含んだ黒い土が多いです。しかし、鹿児島にも白い磁器に使用する白土があります。鹿児島の白土は、火山の熱水によって、花崗岩が白い粘土鉱物に変形し、(1次粘土)、雨や風によって風化して、白磁製作に使用できる白い粘土(2次粘土)になります。

そして、陶工達が詮索した結果、白土が指宿で発見されました。これにより白い焼き物、所謂、白薩摩を完成させ、殿様に献上しました。喜んだ殿様はその功績をたたえ、薩摩焼と名付けました。

 

また、島津家は朝鮮から来た陶工達に対して、姓名や習慣・文化の維持もさせました。

文禄・慶長の役によって、日本に来た陶工は薩摩以外には萩や伊万里等ありますが、薩摩だけは陶工達を日本人化させずに、姓名改変禁止や朝鮮の文化・習慣を維持させました。

その理由は、薩摩藩の貿易のためです。陶工達に焼き物の製作をさせつつ、もう一方で、朝鮮との貿易を行いました。(もちろん徳川幕府に内緒の密貿易です。)貿易では、主に朝鮮ニンジンを昆布等で交換していました(昆布は富山の薬売り等から調達)。江戸時代に鹿児島に訪れた朝鮮人は主に5万人だそうです。そして、貿易を通じて、薩摩藩はアジア圏の情報にも精通していくようになります。

 

アジアの情報に精通した薩摩藩は、幕末、英清のアヘン戦争とその結果の情報を素早くキャッチします。そこで、薩摩藩は、自藩の殖産興業化を目指し、集成館事業を行います。そこでも陶工の技術が活用されます。

鉄を溶かすためには、1700℃程必要であり、それに耐えうるレンガ等の物資が必要です。そこで、陶工達は、薩摩の白土に肥前の陶石を混ぜて、耐火温度をあげたレンガを製作し、殖産興業化に貢献しました。

また、徳川幕府が倒れ、明治政府になり、藩営から民営になった沈壽官窯は、その後も、ターゲットを欧米にて、白薩摩の美術品を作成し、多くの万博に出品して薩摩焼を世界に知らしめました。(その頃に海外に輸出された白薩摩の美術品が、1日目に訪問した鹿児島の長島美術館に多く展示されています。)

 

 

また最後に、伝統や薩摩焼、これからの沈壽官窯についてお話してくれました。

 

伝統は地層なようなものであり、過去の試みが層となって重なり続けたもの。

その時の、今という時に、常に革新的なことを行い、受け入れられたものが定着して、伝統となる。そして、伝統が存在することで、現代は今の立ち位置を確認できる。

沈壽官窯は伝統や昔のものも残しつつ、今に合ったものも製作する。伝統と現代をつなぐものである。

言うならば、我が家(沈壽官窯)は灯台である。灯台は動かないが、光を照らす。照らす光は今という海をいきかう船にとって、指針を示す重要な光となる。

 

また、薩摩焼は黒薩摩と白薩摩の2面性がある。例えるならば、船の対になる船頭である。時代が白薩摩を求めているならば、白薩摩を先頭に進み、時代が黒薩摩を求めているならば、黒薩摩を先頭に進む。その時代に求めている風に向かって進む船である。

 

↑お話しいただいた15代沈壽官氏

 

堤 洋

 

| 管理人 | 報告 | 10:27 | - | - |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>
リンク集
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
バックナンバー
最近のトラックバック
ライタープロフィール