手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
見果てぬ夢

旅に生きた故・久野恵一さんの最後の行き先は、鹿児島でした。「鹿児島苗代川沈壽官窯」と題した2015年3月24日のブログには、冒頭に「今回の思い切った旅」という表現があります。ご本人も最後になるかもしれないことを覚悟していた、というより、いま行かなければ死んでも死にきれないという執念があったと思います。病をおしてまでこの窯を訪れたのは、一緒にプロジェクトを進めていたつくり手の平嶺健二郎さんに、ハンドル(カップやピッチャーの持ち手)付けの技術を伝えるためでした。

 

志半ばで倒れた久野さんにとって、沈壽官窯と進めていたプロジェクトを見届けられなかったことは、何にも増して心残りだったと思います。今回のスタディーツアーは年末押し迫ってからのそれなりに思い切った旅でしたが、どうしても沈壽官窯をお訪ねしたいと思いました。ともかく、平嶺さんに経過を伝えてもらい、ご当主の考えもうかがった上で、ちょっとでも成果が見通せたらと願ったからです(本当に充実した2日間でした。調整してくださった久野民樹さん、ありがとうございました)。

 

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「ものことノート」2015年夏号

 

雑誌「暮しの手帖」で7年にわたって続いた連載の最終回も、沈壽官窯のプロジェクトでした。結果的に亡くなってからの掲載になったものです。

 

この中で久野さんは、民藝や手仕事に再び注目が集まったことを喜びつつ、玉石混淆の仕事がなんでもかんでも持てはやされることに危機感を抱いていること、打開のためには実物を提示してものづくりの歴史や背景を理解してもらうことだと考え、「日本の生活雑器の原点である薩摩焼のルーツ、苗代川焼」の復興プロジェクトにとりかかったという経緯を紹介しています。

 

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沈壽官窯の収蔵庫のチラシ

 

もともとこの窯で焼かれてきた白薩摩の上手(じょうて)ものは、庶民の手が出るようなものではありません。最初に久野さんからこのプロジェクトのことを聞いた時にも、手仕事フォーラムとは一番遠い存在なのではないかと不思議に思いました。

 

15代沈壽官さんは今回の講話で、朝鮮半島の人たちが伝えたものづくりの歴史に多くの時間を割かれました。さらに、自らの窯を「灯台」と自任し、現代の生活にあうものづくりを試みている、とも。一見、相いれないように見える久野さんと15代さんが意気投合した姿が浮かぶようでした。

 

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資料も示しながら、試作品について説明する平嶺さん(濃いオレンジのセーター)。

 

すでに19日のブログで平嶺さんご自身が報告されたように、試作品の一部について解説してくださいました。どれも美しいものでしたが、使い手として、つなぎ手(売り手)として、どのようなラインナップがよさそうかを話し合いました。価格やブランドなどこれから詰めなければならないことはありますが、来年には販売に向けた道筋ができるのではないかと期待しています。

| 大部優美 | 報告 | 09:37 | - | - |
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