手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
広島福屋にて「日本の手仕事展」

今日から広島・福屋で「日本の手仕事展」が始まりました。
すでに報告されていますが、フォーラムメンバーと行った搬入作業の様子を・・・


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今年もたくさんの陶磁器、硝子、染織、木工、編粗品などが集まっています。

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今年は23回目。
こんなにも日本各地の手仕事を、途切れることなく集め続けることの素晴らしさを感じます。

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蟻川工房さんのホームスパンが目をひきました。

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23日(土)は14時から小鹿田焼の坂本浩二さんと黒木昌伸さんをゲストに迎えたお話会があるそうです!

搬入後の打ち合わせの様子を聞いていると、楽しい会になるだろうと確信しました。

「日本の手仕事展」
2019年2月21日(水)-27日(水)
広島福屋八丁堀本店7階美術画廊

| 管理人 | 報告 | 21:20 | - | - |
芹沢げ陲亮集


久しぶりに静岡の芹沢げ霹術館を訪ねました。

現在の展示は、
「芹沢げ陲亮集」ー世界の仮面と衣装ー
です。

古今東西津々浦々、
各地の面、面、面、
各地の染、織、紬。

展示されているものには、
平穏無事と云うよりも、
畏れや滑稽さを感じるものもありました。

しかしその細部を見ると、
彫られた模様、織られた一柄からは、
普遍的な美しさを感じ得ることが出来ます。

訪れる度、発見確認できることと思いますので、
皆様足をお運び下さい。

現在の展示は3月24日までです。
https://www.seribi.jp/



また展示会ごとに出る小図録も毎回の楽しみの一つです。
| 高梨武晃 | 報告 | 11:36 | - | - |
学習会「昔の物 今の物」
大寒だというのに不思議と暖かい日曜日、陽が落ちて、お店が閉まる頃、「もやい工藝」の入口から見るとすでに暖かな灯の中で、テーブルには横山先生の収集品の昔の薩摩焼が賑やかに並んでいる。

龍門司と苗代川を12月にスタディツアーで訪れたばかりなので、印象も鮮やか。

横山先生は、とにかく本物を見て、触ってみるようにと解説を終えたものから次々と全員の手の中に収まる。持ってみてわかる重さ、厚さ、色、かたち、土の感じ。本当にありがとうございました。

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朝鮮の形がよく残るおおらかな「黒もん」


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古いものには貝目がついている

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くぎ彫りや貼り付け紋のある「甘酒はんず」

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龍門司の「黒もん」でも陶工の名を入れたものもある

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男子の祝いの席に登場の「亀型酒器」ー三彩釉、べっこう釉、黒釉、白釉ー
| 石井揚子 | 報告 | 22:19 | - | - |
学習会「昔の物今の物」を開催しました

学習会「昔の物今の物」第4回が鎌倉・もやい工芸で開催されました。

 

今回のテーマは「苗代川焼と龍門司焼」です。

と言いつつ、講師である横山さんが持ってきてくださったのは

この2つの焼き物の他に、同じく薩摩の磁器である平佐焼や、種子島の能野焼まで。

まさに、薩摩藩の焼き物を横断的に見る貴重な機会になったのでした。

 

江戸時代を通して大きな変化が無く、朝鮮の文化の影を色濃く残し、

野趣溢れる力強さを持つ苗代川の黒薩摩。

それに対して、肥前をはじめ他の地域の焼き物文化との交流の跡が見られ、

民窯でありながら繊細な雰囲気もある龍門司焼。

同じ薩摩でも、性格が異なる焼き物が見られることがとても興味深い。

 

今回も、博物館や美術館でしか見られないものを

実際に手にとって見ることができる貴重な機会でした。

 

この学習会は今後も開催します。是非ご参加ください。

| 久野民樹 | 報告 | 23:25 | - | - |
蟻川工房のホームスパン展

銀座で、蟻川工房のホームスパン展がはじまりました。

2年に1回の恒例となっている展示会です。

主宰の伊藤聖子さんがつくられたホームスパンがずらりと。

ジャケット1着分の4mの布を織るのに1ヶ月かかるそうで、

それが20枚近く並んでいます。

今回は殆どが新たに織ったものだそうで、まさに伊藤さんの

2年間の仕事が一同に集まっていると言えます。

 

仕立てられたものが見本として置かれていて、試着することができます。

色、手触り、風合い、身につけた時の軽さなど、

やはり実物を見なければ感じられないことがたくさんあります。

 

 

会期中は伊藤さんが在廊されます。

是非足を運び、実物を感じてください。

 

「蟻川工房のホームスパン展」

 

会期:1月8日(火)〜1月14日(月)

時間:11:00~19:00(最終日17時まで)

会場:ギャラリーおかりや

http://www.g-okariya.co.jp/index.html

| 久野民樹 | 報告 | 13:43 | - | - |
苗代川沈壽官窯、龍門司焼を訪ねて

2016年の有田フォーラムで、沈壽官窯の平嶺さんが試作中の茶碗を披露された。故久野恵一さんと沈壽官窯の当主が意気投合し始まったプロジェクトで、その時は、まだまだ取り掛かったばかりだというお話だったが、キレのいいスッキリした形が印象に残り、沈壽官窯とはどんな窯かと思う。

 

すでにレポートがあるように15代沈壽官さんは、いかにも薩摩隼人ふうの大柄で、引き締まった表情の中、親しみやすい口調で要領よく言葉を選んでくださるので、お話にすぐ引き込まれた。

 

沈壽官家のある苗代川、美山地区は、川があるというわけではなく「苗代の頃に雨が降ると川のようだ」ということらしい。なぜこの水のないところに窯を築いたのか。

 

14代沈壽官をモデルにした司馬遼太の小説「故郷忘じがたく」では、戦乱の中、船で逃れた朝鮮の人々が串木野の浜、島平というところに漂着し過ごしていたところ、藩の「城下に居住せよ。谷敷もあたえ、保護も加える」との命にもかかわらず故郷の見えるこの地域に住むことを願い出たと描かれている。

しかし、15代のお話によると、文禄の役(1592年)の時にも、陶工たちを連れてきているようだということだった。

 

当時の日本では、窯の部屋の斜面が傾いている単室傾斜窯という窯があり、窯づめの道具で作品が床にくっつかないように敷く焼台に、ハマという馬蹄形のものが使われていた。

しかし、窯跡の発掘で、朝鮮ですでに使われていたトチンという連房式登窯で使う形の窯づめ道具がみつかっていることから、文禄の役でも来ていたとみられるとのこと。

 

石積みの上に生垣が続くまっすぐな通りに沈壽官家の武家門がある。

薩摩は、陶工たちだけでなく「高麗筋目ノ者」を士族として遇し、朝鮮名を名のり、朝鮮の風俗が維持された。有田や毛利公の萩など他地域で、日本人化を強いられたことと大きく異なる。琉球を属国として、鎖国の中、海外と交易をしていた薩摩は、朝鮮通詞としての密貿易の用にも期待したようだ。

 

悲惨な戦ではあったが、陶工たちの技術だけでなく、樟脳製造(クスノキも多い!)、養蜂、ヌビと言われる裁縫の技術など多くの高度な技術の移入があったという。

 

薩摩焼の歴史には、幾つもの作陶の流れがあり、苗代川系の沈壽官窯は、藩のための「白もん」と民用の「黒もん」、江戸中期には、流通の発展により天草陶石で磁器も焼かれるようになったが、色絵は、禁止されていた。竪野系の御用窯で、「白もん」のみ、龍門司焼は、「黒もん」などなど。現在は、苗代川焼と龍門司焼のみ焼かれている。

 

幕末、12代沈壽官は、錦手を再興、薩英戦争で磯御庭窯が廃絶し、「白もん」を民需用に焼けるようになり、苗代川が錦手や「白もん」の重要な役割を担う。パリ万博(1867)に幕府とは、別に「薩摩琉球国」として参加、錦手大花瓶が人気を博し、その後の輸出につながる。

 

講義をしてくださった部屋の棚

 

かつて採れた指宿の土は、なく、現在は、成分がすべて分析さて、近かいもの配合した土を使っているとのこと。

時代に翻弄され400年、その時その時の「いま」を見ながら技術を伝承し生産続けることがいかに困難なことか、想像を絶する。

それが、この高級陶器のブランドがありながら、手仕事フォーラムの仕事にも並々ならぬ関心をしめしてくださることに繋がっているのだろう。

 

あらゆることに精通している久野恵一さんと会えたことは、「事件」だったとおっしゃった。「良質の白土による清潔で強い仕事つくらないか」という久野さんの言葉がこのプロジェクトを進めている。

 

 

 

>>>雨の龍門司焼

 

その後、伺った龍門司焼では、雨の中、小規模ながら賑やかな陶器祭りの最中。

川原史郎さんが土をスイヒして丁寧に作る工程、釉薬を作る工程を説明してくださった。薪は、近隣から伐採したスダジイが2年分あるとのこと。

 

 

高い技術で作られた「黒もん」の鮫肌や蛇蝎(だかつ)のものなどは、インパクトがありすぎ。私の暮らしで活かされるかなとしりごみ。でも、やはり、一つぐらい買ってみれば良かったと1月4日の鹿島さんの投稿を見て後悔。

 

登り窯の脇まで、たくさんの焼き物が並ぶ中、時間もなくてあせって求めたマグカップは気に入っているが、オマケにくださった小さな黒い茶碗がいやに存在感があり、手に持つとなじむし、大きさも心地よく、一貫して土も釉薬も自らつくり続けてきた強さを感じた。

| 石井揚子 | 報告 | 22:47 | - | - |
朝鮮陶工に思いを馳せて

一泊二日の鹿児島スタディーツアーの中で、 沈壽官窯第15代の話について、終始聞き入ってしまい、 とても楽しい時間でした。

 

豊臣秀臣の時代、朝鮮では沙器匠(お椀皿など)と甕匠( キムチ甕など)といった2つの身分の違う陶工達は、 決して交わうことなく存在していましたが、 朝鮮から連行してきた薩摩藩では、 区別されず生活をしていました。

また、当時、他の藩では朝鮮出兵で連行してきた陶工は皆、 日本名にするのが普通でしたが、薩摩藩では性を変えることなく、 言葉を忘れさせませんでした。これは、 薩摩藩が外交を優位進めるためであり、 薩摩藩の目論見の高さを感じました。このような藩体制の下で、 朝鮮陶工により誕生した薩摩焼、そして、 そこから派生し脈々と受け継がれてていった鹿児島の焼き物文化に とても感銘を受けました。

 

今回、購入した焼き物

▽ 苗代川焼沈壽官窯  (黒薩摩の平皿)

 

 

▽龍門寺焼(鮫肌手の湯飲み)

 

 

鹿島裕太

| 管理人 | 報告 | 22:07 | - | - |
こんな喫茶店があったなら
鹿児島スタディツアー2日目に訪れた可否館。
他の方のブログでも拝見し、期待感をつのらせていた訪問先の一つです。

センス良く配置された家具や器。このピッチャーに久野恵一さんは惚れ込んでおられたそうです。
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やわらかな間接照明に照らされた色とりどりの吹きガラスは神聖な雰囲気です。
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窓ガラスから吊るされた染織に太陽の光がこぼれています。
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アドベントに臨むテーブルコーディネート。
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4人掛けのテーブルにてホットコーヒーを注文。
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小代焼き、やちむん、小鹿田焼… 店主の粋な計らいが。
様々な産地のティーカップが交わるよう差し出してくれました。楽しいですね。
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何時間も滞在したいと思う素敵な可否館でした。
こんな喫茶店が近所にあったなら…と皆で口を揃えていました。

藤岡 葵
| 管理人 | 報告 | 22:12 | - | - |
種子島焼との出会い

鹿児島ツアー1日目、最初に長島美術館を訪れた。
桜島を間近で眺めることが出来るすてきな場所。
でーっかいっ!晴れ晴れ!


美術館地下一階展示室にて、白薩摩と黒薩摩を鑑賞した。
黒薩摩は庶民が使うものであまり装飾がなされていない印象だったが、鮫肌手やべっ甲手などの釉薬技法が施されているものもあることが分かった。
そんな中、種子島焼を見た。非常にゴツゴツしていて黒く、いかにも重そうだ。釉薬もかかっていない焼締陶器である。ほとんど壺である。または、甕である。黒光りではない。ガサガサと音がしそうな肌だ。
この、着飾らない感じは何だ?
素材むき出しから感じるこの強さは何だ?
私は、この、種子島焼から目が離せなくなってしまった。
種子島焼がどのように使われていたのか勝手に考え始めた。
種子島焼は鉄分が多く、鉄錆色をおびている。薩摩で甕というと、焼酎だと思ってしまうが、酒造りに鉄分は良くないらしい。食品関連の使われ方では無いのでは…?
外で雨水や肥料を溜めて置いたのではないか。または、長い竹や釣竿などの道具をさしていたのでは?

勝手にいろいろアレコレ考えるのは楽しいしい。

旅の最終日、つるまるキッチンが入る黎明館の中で田中一村のポスターを見つけた。田中一村の絵の中にある深い緑色を見たとき、ふと頭に種子島焼が浮かんだ。奄美大島とは違うが、きっと、種子島焼も強く濃い緑の中で黒々とゴツゴツしながら力を発揮していたことだろう!美術館の棚の中ではなく、自然の中にある種子島焼にも会いたい。
焼物とは、それだけで終わるのではなく、周りの物や環境との調和で成り立つのかな、と感じることのできた旅だった。

皆さまとご一緒出来てとても楽しかったです。旅先で快く迎えてくださった皆さま、運営してくださった皆さま、ツアー参加者の皆さま、ありがとうございました。

 

鹿島可那子

| 管理人 | 報告 | 22:03 | - | - |
見果てぬ夢

旅に生きた故・久野恵一さんの最後の行き先は、鹿児島でした。「鹿児島苗代川沈壽官窯」と題した2015年3月24日のブログには、冒頭に「今回の思い切った旅」という表現があります。ご本人も最後になるかもしれないことを覚悟していた、というより、いま行かなければ死んでも死にきれないという執念があったと思います。病をおしてまでこの窯を訪れたのは、一緒にプロジェクトを進めていたつくり手の平嶺健二郎さんに、ハンドル(カップやピッチャーの持ち手)付けの技術を伝えるためでした。

 

志半ばで倒れた久野さんにとって、沈壽官窯と進めていたプロジェクトを見届けられなかったことは、何にも増して心残りだったと思います。今回のスタディーツアーは年末押し迫ってからのそれなりに思い切った旅でしたが、どうしても沈壽官窯をお訪ねしたいと思いました。ともかく、平嶺さんに経過を伝えてもらい、ご当主の考えもうかがった上で、ちょっとでも成果が見通せたらと願ったからです(本当に充実した2日間でした。調整してくださった久野民樹さん、ありがとうございました)。

 

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「ものことノート」2015年夏号

 

雑誌「暮しの手帖」で7年にわたって続いた連載の最終回も、沈壽官窯のプロジェクトでした。結果的に亡くなってからの掲載になったものです。

 

この中で久野さんは、民藝や手仕事に再び注目が集まったことを喜びつつ、玉石混淆の仕事がなんでもかんでも持てはやされることに危機感を抱いていること、打開のためには実物を提示してものづくりの歴史や背景を理解してもらうことだと考え、「日本の生活雑器の原点である薩摩焼のルーツ、苗代川焼」の復興プロジェクトにとりかかったという経緯を紹介しています。

 

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沈壽官窯の収蔵庫のチラシ

 

もともとこの窯で焼かれてきた白薩摩の上手(じょうて)ものは、庶民の手が出るようなものではありません。最初に久野さんからこのプロジェクトのことを聞いた時にも、手仕事フォーラムとは一番遠い存在なのではないかと不思議に思いました。

 

15代沈壽官さんは今回の講話で、朝鮮半島の人たちが伝えたものづくりの歴史に多くの時間を割かれました。さらに、自らの窯を「灯台」と自任し、現代の生活にあうものづくりを試みている、とも。一見、相いれないように見える久野さんと15代さんが意気投合した姿が浮かぶようでした。

 

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資料も示しながら、試作品について説明する平嶺さん(濃いオレンジのセーター)。

 

すでに19日のブログで平嶺さんご自身が報告されたように、試作品の一部について解説してくださいました。どれも美しいものでしたが、使い手として、つなぎ手(売り手)として、どのようなラインナップがよさそうかを話し合いました。価格やブランドなどこれから詰めなければならないことはありますが、来年には販売に向けた道筋ができるのではないかと期待しています。

| 大部優美 | 報告 | 09:37 | - | - |
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