手仕事フォーラムblog

手仕事フォーラムのメンバーが、日々発見した事や物をお届けします
無限の想像力を知った「光原社」

初めて訪れた岩手県盛岡市にある光原社。
民藝通の友人からも出発前にそのあらましを聞いていて、楽しみにしていました。

正面玄関を入ると、壁面ガラスで温室を彷彿させる新館。
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赤レンガの可否館。
 

可否館の傍にある中庭は竹林で、大壺が構えます。
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イーハトーブ館は教会を思わせるようなステンドグラスと吊り照明。引き戸にはやはり漆が使われていて、細部まで丁寧な仕事が見られます。
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赤瓦で統一された屋根と川にしだれる緑が、光原社へ向かう橋のたもとから見られます。
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建物内部をとっても屋外のアプローチをとっても、テイストは違うのにそれぞれの共通点を取り入れたように外国と日本がミックスされ、見事に調和した姿となっています。
今回の見学で、この空間が外国に行かずすべて本を読んだり絵を見たりして、想像しながら創り上げたものだとお聞きして仰天です。
この光原社は世界各地のジャンルにとらわれない「良品」の集まりで、一つの理想郷です。人間の想像力や情熱は計り知れないものだなぁと感銘を受けました。

出発前に説明してくれた友人には、光原社にてお土産を。
「行きましたかー!光原社!!」
包装紙を懐かしそうにじっと見つめ、大変喜んでくれました。

 

藤岡 葵

| 管理人 | 報告 | 07:48 | - | - |
ぴょんぴょん舎で泣いた

先日の盛岡フォーラム、2日目の土曜日の夕食懇親会は、盛岡駅前の『ぴょんぴょん舎』で行われました。

10年前の盛岡フォーラムでも運営メンバーで、『ぴょんぴょん舎』さんの支店へ食べに行ったので、思い出深いお店です。

食事も一段落ついたところで、久野康宏さんがご挨拶をされ、SILTA33号の表紙の写真の話になりました。

久野恵一さんが、かごを掴んで素早く移動している後ろ姿です。

旅の直前、家に届いたSILTAの表紙を見て、「あぁ、懐かしい久野さんの後ろ姿だ」と、私は思わず泣けてしまったのですが、久野康宏さんのお話を聞きながら、みんな口々に「泣きました」と言っています。

そして、改めてみんながその場で泣いているのです。

私も含めて、ほとんどの人が久野恵一さんの後ろ姿を見たのは、亡くなってから初めてではないでしょうか。

書籍に掲載されているものも含めて、久野恵一さんの写真は何枚も残っていますが、後ろ姿のものはなかなかありません。

(こんなに早くお別れするのが分かっていたら、360度あらゆる角度から写真を撮って残しておくのでした・・・。)

にっこりとした撮影用の笑顔も素敵ですが、この忙しそうにしている後ろ姿のほうが、よりリアルに久野恵一さんを感じたのです。

そんな一枚を撮影してくださった久野康宏さんの、「捉える」力に脱帽です。

ありがとうございました。

SILTA33号は、他にも見どころ、読みどころが満載です。

ぜひ、ご購読ください。

 

おまけ:私の持っている久野恵一さんの、食べている最中の幸せそうな横顔。

| 瀬部和美 | 報告 | 08:54 | - | - |
昭和9年に記録されたイタヤ細工の映像

全国フォーラム最終日は秋田県仙北市角館にて、佐藤さんご夫妻と本庄さんの仕事を見学。

帯状に裂いたイタヤを、“ひご”として仕上げるために、小刀で表面を薄くなめらかにする作業

工程を見ることが出来ました。

イタヤカエデならではの清らかな白さが、やはり美しい。もちろん、この工程以前に多くの手間

がかかっており、それを思うと非常に尊い仕事だと思います。

イタヤ細工は編粗品の中では比較的値の張る品物ではありますが、この手間を考えれば

それも納得できます。是非とも生活の中に取り入れ身近に置いて使いたい品です。

イタヤ細工の一連の作業工程については、久野恵一氏の『民藝の教科書いごとざる』にかなり

詳しく写真と解説が掲載されています。

 

さて、イタヤ細工は昭和9年に動画で記録されており、現在、アーカイブとしてWebで観ることが出来ます。

これは、アチックミューゼアム(後の「日本常民文化研究所」)を主宰した渋沢敬三(渋沢栄一の孫)らに

よって撮影されたものです。

『イタヤ細工 製作者 渡部小勝君』と題されたフィルムは1934(昭和9)11月に、渋沢敬三の自邸において撮影されたものです。

『イタヤ細工 製作者 渡部小勝君』

渋沢敬三・16ミリ・18分・一九三四(昭和九)年一一月九日・所蔵=常民研

※この映像資料は、400ページを超える解説本と組で、DVDブックとして岩波書店から販売もされています。

 アチックの活動についても詳しく、また、収録されている映像に関する詳細な解説がなさており、

 貴重な民俗資料になっています。

 ■DVDブック

  『甦る民俗映像−渋沢敬三と宮本聲太郎が撮った一九三〇年代の日本・アジア−』岩波書店,2016.3

 

映像を見ると、作業工程がほとんど変わっていないことが分かります。DVDブックの成田敏氏の解説によると、

渡部小勝さんは職人ではなかったものの、代々イタヤ細工を行ってきた家柄だそうで、曽祖父の渡辺栄蔵さん

は明治初期の名工。祖父鶴治さんは小刀を改良して生産の向上に貢献したそうであり、そのようなことから

技術を受け継いでいたのだろうとのこと。

 

映像に付された目録情報をもう一度読みます。

「この映像は、1934(昭和9)11月に、渋沢敬三自邸において、渡部小勝(秋田県仙北郡雲澤村:仙北市)が

製作するイタヤ細工による箕の作成過程を記録したものである。なお、後半部に石神の斎藤善助家における

糸繰り作業、そば打ち作業が収録されている。尚、映像に音声はありません。」

 

 “昭和9年”と“角館”と読んで、既視感といいますか、何となく別の文脈で同じような話を読んだ記憶があり、

志賀直邦著『民藝の歴史』(筑摩書房, 2016)を確認してみたところ、ありました。

「19 手仕事の復興」「柳宗悦と樺細工伝習会のこと」から文章の一部を抜粋します。

 

「秋田県の手仕事場については、昭和一六(一九四一年六月)の「第二回東北民藝品展覧会」(日本民藝協会、

雪国協会主催・三越本店)においても樺細工の煙草入、イタヤ細工の箕や籠、楢岡焼の徳利、鉢などが出品

されましたが、柳宗悦がはじめて東北地方の民藝探訪のおり秋田を訪ねたのは、昭和九(一九三四)年一月

半ばのことでした。」

 

そしてその後、昭和17年正月に秋田角館を再訪し、昭和17年5月の樺細工伝習会へと話はつながっていきます。

昭和9年に柳と渋沢が角館を目指したことが、単なる偶然なのか、はたまた関係があるのかは私にはわかりませんが、

新たな道を開いていった二人が同年に角館を訪れているという事実に大変興味をそそられます。

 

もう一度、アチックフィルムに話を戻します。イタヤ細工の産地について、成田敏氏が次のように解説しています。

「おそらく、北東北に偏った数少ない地区で行われてきたと思われる。今のところ筆者が確認しているのは秋田県

仙北市雲然のほか、秋田市太平、青森県弘前市東目屋、同八戸市世増(旧南郷村)である。」

しかし、青森県に二ヵ所あったイタヤ細工は、いずれも途絶えてしまったそうです。

 

当日買い求めた、野趣あふれる沢くるみ掛け花入れを見ながら、角館の貴重な仕事が継承されることを切に願うばかりです。

 

| 中村裕史 | 報告 | 08:53 | - | - |
全国フォーラム 2017 in 岩手 手仕事をつなぐ旅

8月25日(金)、26日(土) の2日間 全国フォーラム2017 in 岩手に仙台から参加しました。
1日目 「日本の手仕事をつなぐ旅」展
仙台から、宮城中部に広がる穀倉地帯を北へ。岩手県盛岡までは40分ほどで到着。

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会場となった、岩井沢邸のある滝沢市は馬産地として古くから知られた場所のひとつ。
移築された古民家は、馬とひとつ屋根の下住まう曲がり屋を改築された家屋で、経年の美しさが際立ち、
手をかけ大切に暮らすことの豊かさを感じます。
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中に入ると、秋田 あけび蔓細工 中川原さんの実演が行われていました。
丸かごの胴は仕上がっており、次は縁巻き。水に浸し、やわらかくなった蔓の先端をはさみで落とし、二つに割く。
口元に添えた両手と、蔓の先端をかんだ歯に、きゅっと力が入り、口元から手が離れていくと、みごとに蔓が割けていく。どれほどの経験を積めばできるのか。長い時間をかけ、体得した感覚は迷うことがなく、小気味のいい仕事ぶりにしばら見入ってしまう。縁巻用の蔓のうち8割は、採取後生のうちに割いておくということだから、高い技術を生で見るいい機会をいただくことができた。「 蔓を無駄にすることはできないです。 自然から頂いたものだから」傍らにあった2冕たない蔓の先にも、材をとる山の自然の恵みに対する感謝の思いが感じられた。

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時間を換え、盛岡南側に位置する 紫波郡 型染の小田中さんの実演。
「忘れ物しちゃって。今日はこの木材をお借りして型紙を切っていきます」建材のような太い木材の上での作業の方が、目が近くなっていいのか?と工房での様子の違いに想像を膨らませていたが、なんともお人柄が見えるような一言。 場も緊張から和やかな雰囲気になり、話は進む。ひっかかりがあるから(刀で)彫る方が楽だという小田中さんは、筆が苦手だとか。自作の刀は、手に収まりよく、型紙の上を自在に動く。
「健やかな日々の営みが 当たり前の日常が、健やかな手しごとのものを生む」以前お伺いした工房での久野恵一さんの言葉は、いまも活きていて、その思いはつくり手を前にしたこの瞬間もつながれている。老舗の染物屋は、地域に根ざし、仕事が日常の延長上にある。

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展示では多数の編組品が。ひとつひとつの豊かな姿。 宮崎杞柳楕円大籠は、いつかは手に入れたいもののひとつ。つやのある茶褐色が美しい。

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大分 小鹿田焼 坂本茂木さんの壺も。

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2日目 学習会 岩手盛岡市 ホームスパン 蟻川工房
工房内の棚に整然と収められた毛糸。横には羊の写真が。育つ環境、食べ物で素材の質に差がでるとのこと。

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蟻川工房では、含みのある糸に仕上げるため、染色後の原毛をブレンドする。毛糸づくりが命なので、集中をきらしたり、手を抜くことはない。奥行きのある色は手紡ぎならでは。工房の伊藤さんのご好意で、コートを羽織らせていただいた。蟻川工房で織り上げられた服地で仕立てられたコートは、軽く柔らかで暖かく、包み込まれるような感覚がある。これなら寒い冬も安心。

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学習会
光原社へ。
光原社及川倭香さんより、創業から代表となったいままで、そして前代表及川隆二さんと久野恵一さんとのつながりについて。倭香さんだから語ることのできる深い内容で、長い時間お話をいただいた。歴史もあり、日本の工芸店のなかでも重要な役割があるという盛岡 光原社。何度となく訪れていたけれど、こんなにも充実した気持ちで時間を過ごすことができたのは、「つなぐ」仕事に挑み続けた久野さんと、つくり手、つなぎ手の強い信頼関係をわずかながらも感じる事ができたからなのかもしれません。

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「今つくられている(手仕事の)ものは、文化の証 長い歴史の中で培われてきたもの。切磋琢磨して残されてきたもの。地域を大切に 」
久野恵一さんの言葉を心に、ものとむきあい、これからも手仕事をつなぐ旅に参加していきたいと思いました。

佐藤佐智子


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追記:チャリティー販売会で蟻川工房のネクタイを求めました。息子のハレの日用です。

| 佐藤佐智子 | 報告 | 11:16 | - | - |
久野恵一プロデュース 〜黒木昌伸さん〜

全国フォーラム2017 in 岩手では、久野恵一さんがプロデュースしたものがあり、つくり手からその話を聞くことができました。

 

 

黒木昌伸さんの深茶碗といえば有名ですが、その深茶碗の見本となった美濃焼のどんぶりがありました。

昌伸さんが仕事をはじめて2、3年くらいの時に、久野さんが見本として持ってきたそうです。

 

 

小鹿田焼では、うつわを重ねて焼くことが多く、このようなどんぶりの形はあまりつくらなかったそうです。

最初は何につかうのかなと思ったそうですが、意外に何にでもつかえて昌伸さんの定番商品になっています。

 

| 坂本光司 | 報告 | 08:44 | - | - |
多才な作り手たち

先日開催された盛岡フォーラムには、たくさんの作り手の方にもご参加いただきました。

お忙しい中、本当にありがとうございました。

作り手の皆さんは、本業の他にもいろんな才能・技術をお持ちです。

 

蟻川工房さんで機械を修理しているのは、倉敷緞通の瀧山さん。

ご自身の工房で使っておられる機械類は、自分で作られたと聞いていたので、器用かつ、しっかりした技術をお持ちだとは思っていましたが、他所の工房の機械もパッと見ただけで壊れたところがわかり、サッと修理してしまえる腕前です。

 

観光バスの運転席でにっこり笑っているのは、有田・大日窯の久保さん。

なんと、最終日の盛岡から秋田までの小旅行のバス運転を担ってくださいました。

バスだけではなく、前職は長距離トラックの運転手さんなので、大型トラックの運転もできるそうです。

ちなみに、瀧山さんも観光バスの運転ができるとのこと。

 

そして、いつも見事な掛け歌を披露してくださるのは、あけび蔓のかごの中川原さん。

秋田県横手市の金沢八幡宮で開かれる掛け歌大会は、秋田県指定無形民俗文化財として大切に続けられている行事で有名です。

この写真は、奈良県立万葉文化館で、日本の歌の歴史を紹介するコーナーで流れている映像のひとコマです。

そこには、いまより少しお若い中川原さんが歌い手として映っています。

知らずに見ていた私は、突然中川原さんが出てきたので、びっくりして「中川原さん!!」と叫んでしまいました。

本業での確かな技術、それ以外にもいろんなことができる多才な皆さんです。

| 瀬部和美 | 報告 | 07:43 | - | - |
久野恵一プロデュース 〜坂本浩二さん〜

全国フォーラム2017 in 岩手では、久野恵一さんがプロデュースしたものがあり、つくり手からその話を聞くことができました。

 

 

坂本浩二さんが昔つくったうつわというのがあり、はじめて見るものでした。

久野さんが見本として持ってきたのは、木のうつわだったそうです。

 

 

独特な形に、独特な打刷毛目がほどこされていますが、すべて久野さんの指示によるそうです。

おそらく25年くらい前のことで、今回、浩二さんの小屋から偶然見つかったそうです。

若かりし浩二さんが一生懸命につくったものだそうですが、この機会にもう一度つくってみようかなと、浩二さんはおっしゃっていました。

 

| 坂本光司 | 報告 | 08:41 | - | - |
手仕事フォーラム in イーハトーブ(続々)

岩手県滝沢市の岩井沢邸で開かれた「日本の手仕事をつなぐ旅」展。
久野恵一さんが集め、『日本の手仕事をつなぐ旅』に掲載された手仕事の名品が展示されました。

窓辺には、ガラスたちが・・・

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小谷ブルーが、傾き始めた夏の日差しを受けてとりわけきれいです。

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移築された南部曲がり屋と壁に開かれた縦長の窓が、伝統の重みに明るさを添えていて、それが小谷さんの仕事に通じます。

写真が上手、ですって?・・・とんでもありません、小谷さんのガラスが美しいのです。

そのガラスにイーハトーブの光が降り注いで、ますます美しいんです。

倉敷ガラスの小谷真三さんは、『日本の手仕事をつなぐ旅』いろいろ◆崗谷真三さんのコップ」に登場します。
「・・・1977( 昭和52)か78(昭和53)年頃、盛岡の光原社オーナーであり、友人の及川隆二さんから、小谷さんが盛岡に工房をつくることを聞いた。及川さんの祖父、及川四郎さんは、小谷さんが仕事に取り組み始めた頃から援助していたのだが、援助を始めるにあたり、いずれ小谷さんの仕事が順調になったら盛岡に工房を設けて製作してほしいと約束していたのだ。小谷さんは義理がたい人なのでその約束を果たさねばと、盛岡で仕事をしてもいいということになったのだという。
・・・私はその工房で小谷さんと初めて顔を合わせることになった」
以後、久野さんと小谷さんの親交は深く、長く続きました。

10年前、2007年の公開フォーラムも、岩井沢邸で開かれました。
その折に、及川隆二さんのご自宅敷地内にある小谷工房をみんなで見学をしました。
9月はじめの暑い日でしたが、小谷さんは参加者のためにガラスを吹いてくださいました。

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光原社では、盛岡の工房でつくられた小谷さんのガラスによる展示会を定期的に開いてきました。
写真は、2014年に開催された「小谷真三作品展」。

会場は今回のフォーラムで及川倭香さんのお話を聞いた光原社の一室です。

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久野恵一さん、及川隆二さん、そして小谷真三さんは、理想郷イーハトーブの絆で結ばれていたのでしょう。

「全国フォーラム2017 in 岩手」は盛会にて無事終了いたしました。
地元紙が取り上げてくださったこともあり、予想をはるかに上回るたくさんの方々に御参加いただきました。
全国から御参加くださった皆様や、開催に力を貸してくださった皆様に、心より御礼を申し上げます。

| 大橋正芳 | 報告 | 08:35 | - | - |
中川原さんの実演
2年前に光原社で出会い、一瞬で心奪われたのが中川原さんのあけび蔓の丸かごでした。
持ってみると、手に当たる感触の優しいこと。
迷わず買い求め、その美しいカタチを眺めては作り手にお会いしてみたいと思っていました。

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この度のフォーラムで実演を近くで拝見させていただき、底作りからはじまり、型を使わずに全体を見ながら感覚で編み上げ、形を作っていくその手際に感激しました。

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最も印象深かったのは、材料と継ぎ目の処理でした。
材料となるあけびの蔓は綺麗に節が処理され、引っ掛かりがありません。
また、何本もの蔓を継ぎながら編んでいく中で、時折手で表面を撫でながら、手に当たる部分を丁寧に鋏で切り落としていました。
ものづくりへの姿勢として「良い物を、使う人のことを想って作る」と語る中川原さん。
衣類を入れても引っ掛からず生地を傷めないかごの優しさの秘密は、作り手の心と技術に裏打ちされたものだと知り、感動しました。

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初日に縁巻きが見られなかったので、二日目の午後も岩井沢邸にお邪魔しました。
芯になる太い蔓と、3センチ間隔に1本残しておいた縦の蔓を巻き込みながら、半分に裂いた蔓を八の字に、緩まないように力を込めて巻いていきます。
そうして、ふっくらとして見るからに頑丈そうな縁が出来上がります。
巻きはじめと巻き終わりの重なる部分は、細い蔓を使って重なった部分の段差が目立たないように作るという工夫もあり、工程の一つ一つが最終的な物の形と機能を生む様子を目の当たりにしました。

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中川原さん愛用のかご。40年以上使っておられるということで、さぞ手入れや修理をしながら使い込んできたのだろうと思ったらなんと、一度も巻き直しや修理をしたことがないのだとか。
実際に触らせていただいても、持ち手の緩みは一切なく頑丈そのもの。むしろ艶が出て力強さを増しているように感じました。

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(▲完成品を撮影していなかったので、写真は自宅で使用しているものです)
 
材料の野性的な力強さを持ちながらも、美しい形。そして手に持った時の優しい感触。
出来上がったかごは、その作り手を映しているように感じました。
そして、編組品の技術については既に高い技術を持っていたとされる縄文時代にも、こんな職人がいたのだろうかと、古代人の暮らしぶりを夢想しました。
日本人になじみの深い“小豆”も編組品(縄文ポシェット)と同様、縄文時代の遺跡から発掘されており、最新の研究では縄文人が種を蒔いて栽培していたのではないかという説もあります。
中川原さんの確かな技術と心に触れて、遥か縄文時代から続く人々の生活の知恵を現代につないでいく活動をしていかなくてはならないと決意を新たにしました。

yamada.jpg姫路 山田宗平
| 管理人 | 報告 | 22:34 | - | - |
小田中さんの実演
「民藝の教科書」シリーズの表紙絵に惹かれ、それをきっかけに手仕事フォーラムや民藝と出会った私にとって型染と小田中耕一さんは特別な存在です。
小田中耕一さんとは制作依頼や打ち合わせで何度かお会いさせていただいており、型染の手順は理解しておりましたが、実際に型を彫るところを拝見したのは初めてでした。
 
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図案をもとに型を彫る

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迷いなく一気に彫り、あっという間に「日本」の文字が浮かび上がりました。
型が落ちないように“つり”というつなぎになる部分を残しています。
 
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掘った型の上に絹で出来た“紗”という網目状の薄い布を乗せて、上からラッカーをシンナーで溶いたものを塗ると、型が紗に定着します。
(古くは漆を用い、現在ではカシューを使うこともある)
 
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 “つり”を切り落とすと型が完成。

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耐水性のある特殊な和紙に型を重ね、ヘラで広げながら糊を置く。
この“糊”は蒸した糯米と米糠に石灰等を入れたもの。
石灰を入れる前の糊は食べられるので、修業時代、糊を作る時に一緒に白玉団子を作って食べていた、というのを芹沢先生は知らない・・・という冗談話も。
食べられる穀物を食べずに染物に使ってしまう染物屋は「穀潰し」と呼ばれることもあると以前小田中さんが冗談ぽく仰っていたのを思い出しました。

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糊を置いたもの。色を付けたい文字以外の所に綺麗に糊が乗っています。

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大胆に色を差して行きます。
本来は顔料を豆汁(ご)で溶いたものを使用するそうですが、豆汁はすぐに腐敗してしまうため、実演では豆汁を使わない墨汁を使用。

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そして水で糊を落とすと、見事に糊を置いていない文字の部分だけが染まりました。
(写真左から2つめ)

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実演中は終始冗談を交えながらの和やかな雰囲気でしたが、眼鏡を外して真剣に型を彫り進める姿とのギャップを感じました。
 
トークイベントでは、ポスタータイプのカレンダーの是非について(12ヵ月分を1枚に並べるのは作り手として本意ではないとのことで)久野恵一さんと夜を徹して議論したエピソードを面白可笑しく話されていましたが、民藝の教科書の言葉を借りると、「どこかひょうひょうと」していながらも仕事に対する強い信念を感じるエピソードです。
優しくも華やかな色使い、愛らしくも上品な図案の小田中さんの作品は、こうした“人の魅力”によって生み出されるのだと感じました。

yamada.jpg姫路 山田宗平
| 管理人 | 報告 | 08:18 | - | - |
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